書の作品を書く時、必ず一字大きな字を書きます。
私はまだ全紙には書きませんが、それでも畳み1畳近い大きさの
紙に書きます。
墨はたらいに入れ、たっぷりと墨を含ませた筆で、全身をつかって
書くのです。
私の場合は、地からのエネルギーと自分の内なるエネルギーを
頼りに書いていくのですが、見事に思うようにならないのです。
その思うようにならないことが、書き続ける魅力になっています。
思うようにならない面白さです。
出来あがった作品を見ると、がっくりするのですが、
それでも、やーめた!とはならず、次こそと思うのです。
今回の「母」は、初女先生のような母をと思ってはいたのですが
全く違う、母になってしまいました。
自分の中に、こんな母があったかと驚いたほどです。
母性溢れる初女先生のような「母」は一生かかっても
書けないかもしれませんが、それでも「母」を書いて
いきたいなと、思いました。
書展に来て下さったkさんが、母ではなく、母ちゃんねと言ってました。
Kさんのブログです。ここです
私はまだ全紙には書きませんが、それでも畳み1畳近い大きさの
紙に書きます。
墨はたらいに入れ、たっぷりと墨を含ませた筆で、全身をつかって
書くのです。
私の場合は、地からのエネルギーと自分の内なるエネルギーを
頼りに書いていくのですが、見事に思うようにならないのです。
その思うようにならないことが、書き続ける魅力になっています。
思うようにならない面白さです。
出来あがった作品を見ると、がっくりするのですが、
それでも、やーめた!とはならず、次こそと思うのです。
今回の「母」は、初女先生のような母をと思ってはいたのですが
全く違う、母になってしまいました。
自分の中に、こんな母があったかと驚いたほどです。
母性溢れる初女先生のような「母」は一生かかっても
書けないかもしれませんが、それでも「母」を書いて
いきたいなと、思いました。
書展に来て下さったkさんが、母ではなく、母ちゃんねと言ってました。
Kさんのブログです。ここです