私のブログを見て、大阪から京都に「書」を見に行って
下さった方からメールを頂きました。
『 「悲」 を百枚以上書く間の気持ちを、ブログで
読ませて頂きましたが、墨の点々がずっと繋がって
いるのが、「悲」を書こうと決めた時までの長い長い
時間の様な気がしました。
「悲」の書を見たら、泣くだろうと思って行ったのですが
泣きませんでした。
真っ直ぐな線に強いものを感じたからでしょう』と
書かれていました。
私は、随分長い間自分の中の悲しみが忌み嫌う
ものとしてありました。
悲しみがあることは、立ち直れないことに
結びついていたからです。
今回、「悲」を書きながら、書の方から私の中の
「悲」を問われて来た気がしました。
そして、悲しみに支えられてきた自分がいたことに
気がついた時、その悲しみは息子そのもので
あったことに気がついたのです。
その時から「悲」を書きながら、心が楽しく
なったのです。
悲しみに感謝しながら書いていました。
私の書を見て強いものを感じて下さった
というお言葉、本当に嬉しく有難く
息子が「お母さん、よかったね」と言って
くれてる気がしました。
有り難うございます!
これからも精進して書いて行きます。