~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

愚かな自分

2010-02-18 19:27:32 | 日記
今日は何となく一日が過ぎ、ブログに書くこともないなーと思い
仕事から帰って来ると、テーブルの上に一枚の葉書がありました。
その葉書を見た途端、私は自分の愚かさに打ちのめされました。
先日、ブログを読んで共感して下さったという方から、お電話を
頂きお話したのですが、その後で私は何も分かっていないのに
自分の拙い経験から、その方に手紙を書いてしまったのです。
私の体験したことが、何か参考のなればとの思いあがった
気持ちが、私の中にあったのかもしれません。
初女先生は、心に寄り添うように、深いところまで降りてきて
唯ただ聞いて下さいます。
その初女先生を見ている私が…
先生は「どんな時でも、相手の言うことに口出しせず、信頼をもって
すべてをそのまま受け止めるようにしています」と言われ、
「その人と同じ気持ちになって、その人の苦しみをともに苦しむ
というところまで行かないと、その人にぴったりの答えがでてこない
と思うのです」と言われています。
私も初女先生に、そのようにして苦しみを聞いて頂いたから、自分の
中に答えを見つけることができました。
それなのに、そこまで深く聞かず自分の体験から、ものを言って
しまったのです。
初女先生は「こうすればいい」と頭で考えたことを言うのでは、相手も
納得しません。浅いからです。聞きながらいったん全部自分の中に
入れて、自分のものとしてから、じっくりとお返事します。と
言われています。
今日、私は自分の愚かさに気がつきました。
あの、一枚の手紙に感謝をしなければ…
今まで、何気なく読んできた先生の言葉が、心に深く降りてきました。

    わずかな時間で、自分なりに相手の内面を
    想像するのは、危険なこと。
    「こうしなさい」とは、めったに言わないの。
                         佐藤 初女
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記念日

2010-02-17 22:04:31 | 日記
今日は友人の息子さんの命日でした。
昨日は、別の友人の亡くなったご主人の誕生日。
記念日は何年たっても切なくて、悲しくて、涙が溢れます。
この日が巡って来る前は、やはり心が波立ちます。
誕生日も命日も、黙って通り過ぎていって!と思います。
 今日は知り合いの先生と二人で、静かに祈りました。
その方が「亡くなった方は、生きている人の幸せを一番に
願っているのよ」というのを聞いて、残された者は亡くなった
人を想い、亡くなった人達は生きている私達を想っている。
これは、確かに繋がっているということなのでしょう。
見えないけれど、想いは通い合っているのですね。
だって想いは時空を超えるのですもの
 何回目かの命日に、訪ねてくれた息子の同級生の女の子が
帰りかけたのを戻って来て、「山ちゃんが夢で、お母さんに
電話かけても、いくらかけても繋がらないからお母さんに
ありがとう!と言っておいて」と言ったの。と教えてくれました。
私は、その頃あの子の姿かたちばかり追い求めていて、
あの子の想いが聞こえていませんでした。
あの子は、どれほど私に気がついてと、サインを送っていた事でしょう。
同級生の見た夢は、あの子のメッセージそのものだったのでは
ないかしら…
初女先生が言われるように、私達は心の別れはしてないのですから、
確かに確かに繋がっているんです。
命日や誕生日は、あちらの世界とこちらの世界がより近くなり
想いが重なる日かもしれません。
記念日は辛いけれど、これも愛情なんですね。きっと…
本当に大切なものは、目に見えないのかもしれない、そんな
気がします。
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メッセージのおすそわけ

2010-02-16 19:53:07 | 日記
あっという間に2月も半ばを過ぎてしまいました。
いよいよ、7月の講演会に向けて動きださなければと思い
心を奮い立たせています。
「初女先生なら集まるわよ」という方もいますが、やはり人に足を
運んで来て頂くということは、そんな簡単なことではありません。
ましてや、今回は平日です。果してどれだけの方が来てくださる
でしょうか…
主催する者の思いがその講演会に大きく影響します。
私の願いは来て下さったひとりひとりの方が、先生を隣人と感じて
下さるような集いにしたいということです。
初女先生と思いを同じくする、高山さんの歌を聴いて頂き、講演会が
終わった時に、誰もが「今日はいい日だったね」と温かい気持ちになっ
て帰って行かれたらどんなにいいでしょう。
しかし、そこにたどり着くまでには様々な困難と不安を乗り越えなくて
はなりません。
あの底なしのような深い悲しみから、初女先生と出会ったことで私は
立ち上がることが出来ました。
今回の演題「出あいは未来をひらく」は、私自身のことでもあります。
そして、これはきっと真理なのだと思います。
このことを、初女先生と共に響き合えたらと思います。
でも、じっとしていると不安で押しつぶされそうになります。
そんな私に友人から「初女さんのくれたメッセージのおすそわけ」と
励ましの手紙が届きました。

   一歩一歩を進んで下さい
   意味のない事なんて何ひとつないのですから
   すべての存在は繋がっている 勇気と愛
                       佐藤 初女
この言葉を読んだら、涙が出てきてしまいました。
信じて進んで行こう、勇気と愛があれば大丈夫!
初女先生に背中を押されたようです!




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松谷みよ子さん

2010-02-15 19:29:20 | 日記
新聞に松谷みよ子さんが載っていました。
お元気そうなお顔にほっとし、思わず年齢を見てしまいました。
83さい!
父がほとんど一緒でしたから、生きていれば父もそういう年齢か
と思ってしまいました。
父の通夜の時に、足が痛いというのに駆けつけて来て下さった
松谷みよ子先生
松谷先生は、新刊がでると必ず父に送ってきて下さいました。
父はその度に、「松谷さんは文章がうまいなー」と唸りながら
読んでいました。でも、松谷先生は父の書く酔っ払いには
かなわないと言っていたそうです。
息子が亡くなり、1年半で父を亡くした私は悲しみの感覚すら麻痺
していたようです。
通夜の前日、私は一人で一晩中父の側にいました。
あの時、なぜあんな気持ちになったのか今でも分からないのですが、
父に松谷みよ子さんの「さるのひとりごと」という民話を語ったのです。
 そして、暫らくたって息子と父を亡くした淋しさを松谷先生に
手紙に書いて送ったです。
ある日、松谷先生の新刊が私の処に届きました。
「異界からのサイン」という本でした。
私の淋しさに寄り添ってくれ、悲しみを救い取ってくれるような
お話が散りばめられていました。
昨日、何年振りかでこの本を開くと
「お父様と創さん きっとあの世でごいっしょですよ」という
松谷先生のやわらかい字の手紙があり、思わず涙が出てしまいました。
松谷先生!ようやく私も息子からのサインに気がつくことが
できました。
 今、松谷先生の本のあとがきの言葉が私の心に響いています。
 
   かつて、能舞台について触れたことがある。
   この世と言う舞台があって、もう一つあの世という舞台が
   あるのではなく、鏡の松はそのままに、一つの舞台は
   現世でありあの世である、二重構造なのではあるまいか…
   その思いは今も変わらないが、二十年過ぎたいま、
   ひとを超えた、はるかな宇宙からのサインも私たちの許へ
   届けられているのではないか、と思うのである。
   たとえば水が私たちの言葉や音楽に反応するように。
           松谷みよ子(異界からのサインより)

 
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冬季オリンピック

2010-02-14 15:15:01 | 日記
昨日、冬季オリンピックの開会式を観ていたら、いつの間にか
引き込まれて、最後まで観てしまいました。
北京オリンピックの時は、すごいなーと思いましたが、一方で
この国では、人が駒のようにつかわれているのかしら?という
思いが、観ている間中ついて廻っていました。
今回のオリンピックは、先住民がオリンピックの意義を深めた
開会式でした。
先住民協会の最高責任者は「恥辱にまみれた歴史だったが、五輪に
一般のカナダ人と共に取り組んだことは希望をもたらしてくれた」
と言っていました。
民族紛争のなくならない世界の中で、カナダの歩きだした道は
21世紀の希望に繋がっていくかもしれません。
世界の人が、住みたいと思う都市のナンバー1がバンクーバーだと
聞きました。
私も知人のお姉さんも、カナダに暮らしていますが数年前にご主人を
亡くされましたが、知的障害のある息子さんの為にカナダに永住する
ことを選択されました。
カナダは、後継人制度がきちんと整っているので、自分が亡くなっても
子どもは心配なく生活出来るそうです。
マイケルムーア監督は、映画の中でアメリカは家に鍵を5つ掛けても
犯罪が後をたたないが、お隣のカナダは鍵をかけなくても犯罪は
起こらないと言ってました。
五輪開会の日、アメリカの大学で発砲事件があり、3人の方が亡く
なったというニュースが流れてきました。
カナダもアメリカと同じ移民の国なのに、何かが違うようです。
今回の開会式で踊ったダンサーの中に、4人の日本人がいたそうです。
様々な国の人を受け容れているカナダは、違いを認め合いひとり一人
が生かされている国なのかもしれないと思いました。
開会式を観ていたら、カナダに行ってみたくなりました。


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希望の伝播

2010-02-13 18:56:37 | 日記
東大教授の玄田有史さんは、希望を研究するプロジェクト
「希望学」を進めているそうです。
玄田さんは、幸福という言葉は結婚や子どもが生まれた時など、
その状態がいつまでも続いてほしい時にでてきます。
それに比べて、希望は幸せな時や楽しい時でなく、厳しい現実に
立ち向かって行くときに、湧きあがってくる言葉です。と言われて
います。
確かに人は、苦しい時ほど希望を求めています。
ほんの少しでも希望を見いだせれば、人は前に進めるのかもしれない
と思います。
玄田先生は、希望は個人が紡ぐものだけれど、伝播する。誰かが希望
を持って行動すると必ず誰かに伝わると言われています。
初女先生は、どんな時も希望を持って進まれています。
今、先生の行動に響かれた人が、自分で行動し始めています。
これは、玄田先生流に言えば、希望の伝播でしょうか。
先生は、「出会った人たちが何か本物のことを強く求めていて、
その人たちの気持ちが一つになって、大きな波動になっているのが、
目には見えませんが、はっきりとわかります。
一つ一つの波動が、さらに別の波動と結ばれて、力強く進んでいる
のが感じられます。その波動の動きは、ひとりひとりの個人の力を
超えて、何かもっと大きなものを少しずつよい方向に変えている」
と言われいます。
なんと希望に満ちたお言葉でしょう!
私は、初女先生の講演会に携わって7年目になりますが、会場に来る
若い人が、どんどん増えていることに希望を感じています。
7月の横浜の講演会では、初女先生から発せられた「希望」が
会場に来て下さった方々に伝播することが、私の希望です。
「出あいは未来をひらく」
そう、希望に満ちた未来を…
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初女先生の覚悟

2010-02-12 19:25:43 | 日記
今、森のイスキアはまるで冬眠するかのように雪で覆われ、自然の
懐にかえっています。
けれども初女先生は休むことなく、働き続けています。
米寿を迎えても、先生のスケジュールは少しも緩むことなく、逆に
一層大変になってきています。
私は祈ることしか出来ず、毎朝「今日も初女先生の健康が守られます
ように!」と祈っています。
先生に手紙で「先生は充分過ぎるくらい働いているのですから、どうか
少しは先生の体を休ませてあげてください」と言ったこともあります。
私は、今年の先生の新年のご挨拶に初女先生の覚悟を見てとりました。

     神のはからいは限りなく
     生涯私はその中に生きる
     八十八年の生涯を感謝で送り
     新しい年に希望をもって
     生きてまいりたいと願っております
                      佐藤 初女
先生は、すべてを受け容れ覚悟されたのだと、私は思いました。
 先生は「生きている」ということは、誰がどうして
こんなふうに生かしてくださっているのかと思うくらい、考えて
みれば不思議なこと。
体が、もう八十年以上も生きているというのに、少しも休まず
働いてくれていることを思うと、本当に「ありがたい」という
思いで胸が一杯になるのです。
と言われていますよね。どうか、どうか、もう少し体を休ませて
あげて下さい。
でも、先生の覚悟は揺るぎないのもなのでしょうね。
先生は「ひとりひとりのために心を尽くすことを大切にし、
人生の最後のときまで、真実に生きていきたい」と言われて
いますから…
 明日も祈ろう、初女先生の健康が守られますことを…
それが、今私に出来る唯一つのこと!
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個性

2010-02-11 20:53:22 | 日記
Tさんの高二の息子さんが、無遅刻無欠席を目指している
と聞いて、「すごいなー。うちの子と大違い」と言うと
「次男は遅刻と欠席ばかりだったのよ。同じ親が育てての違うから、
それは個性なのよ」とさらりと言うのです。
私は、さすが男三人育てている親は違うなと思いました。
昔、母原病という本が評判になり、私も読みましたが何もかも原因は
母親にあるようで、自信をなくした記憶があります。
今、うちの子はさかんに「俺はお母さんのカスの遺伝子ばかり
もらっている。」というのです。
その度に私は、村上教授の受け売りの「人の遺伝子と猿の遺伝子は
ほとんど変わらない。眠っている遺伝子のほうが多いのだから、
誰でも花開く可能性はあるのよ」と言うのですが、知識のバックボーン
が有るわけでないので、息子に突っ込まれるとすぐ詰まってしまいます。
 先日、発達障害の講座を受けてきました。
昔は自閉症は、親の育て方のせいと言われていた時がありました。
学習障害の子供を持つ親が、子どもにその診断がでると、ほっとした
顔をされる方がいるといいます。
周りから、親の育て方が悪いと言われてきたその重荷が、やっと
降ろせることで、現実は変わらなくても気持ちが楽になるのでしょう。
Tさんではないけれど、障害をもっているそのことも個性だと
皆が見てくれたら、どんなにいいでしょう。
心のバリアフリーが生まれてくるかもしれません。
 カスの遺伝子を貰ったという息子よ
 それも又君自身なのだ。君の個性と言う部分なのだ。
 カスの遺伝子など、どこにもないのだ
 眠っている遺伝子があるということは、誰でも花開く
 可能性があるということ!
 カスの遺伝子と嘆くより、眠っている遺伝子を目覚めさせよ!
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草筆

2010-02-10 21:50:25 | 日記
今日、「書」に行くとすすきの穂で草の筆を作ってきた方がいました。
私は、竹の筆は知ってましたが、草の筆というものがあるのも知り
ませんでした。
先生がすすきの草筆で、「女」と「花」を書くと、風が吹き抜けた
ような、なんとも言えない雰囲気が広がっていました。
近くで見ると、字に見てとるのは難しいくらいなのに、離れて見ると
透明感溢れた字があるのです。
この書を見ていたら、竜笛を思い出しました。
竜笛には、人には聴こえない音が出ているそうです。
この草筆の書にも、見えない筆を感じるのです。
見えないけれど、そこにある…
聴こえないけれど、響いている…
このことを思う時、私は魂に思いを馳せるのです。
「僕の魂(いのち)は消えてなくなるわけじゃない」という、
あの子からのメッセージが、聴こえない笛の響きに、見えない筆に
感じるのです。
いつか、草の筆であの子の名前を書いてみよう。
どこまでも澄んだ「創」が書けるかもしれない…
見えないけれど、確かにいるあの子の名を…

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立松和平さんに捧ぐ

2010-02-09 20:12:58 | 日記
ブログを書こうと、インターネットを開いた私の目に「立松和平死去」
の文字が飛び込んできました。
不意打ちをくらったような、立松さん死に「やっぱり人は死ぬんだ」
という呆れるような言葉しか浮かんできませんでした。
病院で亡くなったとのことですが、それも立松さんらしくないなと
思いました。
星野道夫さんが亡くなった時も、ショックを受けましたが、ある意味
納得できる死でした。
人は納得して「死」を受け入れるということを聞いたことがありますが…
立松さんはどうだったのでしょうか。
立松さんの死を知り、急に谷川俊太郎さんの「祝魂歌」が読みたくなり
ました。
谷川さんは、「死は行き止まりではなく、その先にまだ何かあるのでは
ないかと考えるようになっています。
からだから解放された魂というものがあるのではないか、誰もが心の
奥底でそれを知っているのではないか。
もしそうだとしたら、魂の新しい旅立ちを祝うこともできるのでは
ないか、それが残された者の嘆きを少しでも軽くすることができる
のではないか。」と書いています。
私も子どもが亡くなった翌年、富士山での護摩焚きに行った時、
夜空に舞い上がる壮大な火の粉を見た時、魂とは自由なもの
なのかもしれないと思いました。
立松さんの魂も、今自由に宇宙を駆け巡っているのかもしれません。
プエブロ族の古老の詩を、立松さんに捧げます。

       今日は死ぬのにもってこいのだ

      今日は死ぬのにもってこいの日だ。
      生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている
      すべての声が、わたしの中で合唱している。
      すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。
      あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
      今日は死ぬのにもってこいの日だ。
      わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
      わたしの畑は、もう耕されることはない。
      わたしの家は、笑い声に満ちている。
      子どもたちは、うちに帰ってきた。
      そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。
    
        
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