弥勒菩薩立志歩行像の頭部です。頭部だけだとわかりませんが、弥勒はまっすぐに前を向いて、右足を前に出し、左足を後ろにひいて、立って歩いています。右手には薄紅の薔薇を一輪持っている。
いつだったか、「思い止めし弥勒」(考えるのをやめて、指先を下ろし、半眼から目をあげた弥勒菩薩の図)という切り絵を描いたことがあったけれど、その発展形ですね。モデルは一応、中宮寺の弥勒菩薩半跏思惟像。どうして衆生を救おうか、考えている弥勒菩薩はもう考えるのをやめ、行動をし始めた。自分自身の足で立ちあがり、歩き始めている。
光背は必要ないと思ったので描きませんでした。そう言えば、レオナルド・ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」ロンドン・ナショナル・ギャラリー版では、同画のルーブル美術館版と違って、マリアや幼子イエスや、ヨハネの頭の上に、細い光輪が描いてあったのが、いかにも絵に合わなくて、おかしく見えたのを、覚えています。絵の中の人の姿そのものがまことに美しいので、光輪をつけるのは、本当に美しく偉い人が、本当は偉くないのに偉ぶっている人がかぶっている冠を無理やりかぶらされているようで、すごく似合わないような気がしました。
ルーブル美術館の「岩窟の聖母」は、光輪がないとか、ほかにもいろいろとケチをつけられて、依頼主とトラブルがあり、結局、フランスの王様に献上されたそうなんですが。画面左下の幼子イエスを支える天使ウリエルの表情が、ロンドン版の方がとても美しいので、あの光輪はいかにもおしい感じがします。
なんだか話がそれてしまいましたが、この弥勒にも、光背を描いたら、なんかいい感じはしないと思うな。やたらとえらく見せる必要はない。もう偉いんだから。手に薔薇を持っているのは、義と真実の象徴です。つまりは、正しい道を歩いているという意味です。
薄紅の色は、愛の意味をこめました。もっともモノトーンだからわからないけど。いつかカラーの絵で描かないといけませんね。