冒頭の絵は、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの「ムーラン通りの医療検査」です。印象派の画家の中でも個性的な光を放つ画家ですが、この絵を見ると、わたしは少し気分が悪くなります。
これは当時の娼婦たちの義務だった医療検査の風景を描いているそうです。こういう場面を、なんでロートレックは描いたのでしょう。好意的に解釈もできるけれど、わたしはなんとなく、画家の心に人に見せられない影を感じてしまいます。
こういうロートレックの絵を、身体障害者として差別を受けていたロートレックが、踊り子や娼婦などに共感を覚えて愛情をこめて描いたのだなどと解釈する傾向がありますが、わたしは少々懐疑的にそっぽを向きたくなる。ロートレックは、美しい女性でも、まるで老女のように、顔の歪んだピエロのように描く。そこには、なんとなく、女性に対する男のひがみを感じます。
容貌の冴えない男性は、よく女性に対し、特に有能な女性や美しい女性に対し、ひねくれた感情を持ちます。ロートレックは、少年期に両足を骨折したことで足の成長が止まり、大人になっても身長が152センチくらいしかありませんでした。ウィキなどで当時の彼の写真の顔などを見ると、そういう身体的障害からくる、悲しいことを、高い精神性で乗り越えようとするような勉強をしている人とは感じられない。彼のこの障害は、彼の心に、少しひがみ、ゆがみを生んだ。男の人は、どんな人でも、女性に対し、ある種のひがみを持つものですが、彼の障害は内部に強い悲哀を生んだ。
ふ。みなさん、ここで筆者が変わりました。どうです。真実の天使の真実は、痛いでしょう。彼女は、ほんとうに、鋭く真実を言う。まことに、そのとおり。小さくも偉大な芸術家と、友人に言ってもらっていたトゥールーズ=ロートレックの心には、女性に対する、憎しみにも嫉妬にも似た、重いひがみが、ありました。これはまあ、女性に対しコンプレックスを抱く男の宿命のようなものです。
おや、みなさん、どうしました? わたしがでてきたことに驚きましたか。いや残念でした。彼女の方がやっぱりよかったでしょうねえ。とにかく、話を続けましょう。
男なら、同性として、とても、彼の心の影を暴けないでしょう。だが女性である彼女は、敏感に気付き、それを真実の言葉でいう。たまりませんねえ。なぜこんなことを言うかというと、彼女自身が、ひがんだ男によっていろいろと苦しめられてきたからです。
だから、ロートレックの絵を見て、すぐに気付いた。これは男のひがみだと。
男性は、この「男のひがみ」が原因で、いろいろと馬鹿なことをやってきました。女性や、ほかのいろいろなものに対してね。それでたくさんの人々が、たいそう苦しんできた。もうそろそろみなさん、大人になりましょうね。この「男のひがみ」、まるわかりです。顔をみれば、ひがんだやつだということが、すぐわかります。ほんとですよ。女性はそういう男性を見つけると、逃げます。
いっときますが、ヒトラーもスターリンも完璧なひがみ男でした。背が小さくてさえない男。とても女性にもてるとは思えない男ほど、なんとかして強い力をもちたいと思うものだ。それで悲しいことがたくさん起こった。原因は男のひがみ。実に、明瞭な真実です。
冒頭の絵は、わたし試練の天使の感想として言いますが、ばかですかと言います。ふ。女性に対し、これほどの侮辱をやるとは。そしてこの絵を、名作に数えるとは。破いて捨てなさい。焼いてつぶしなさい。これほど、女性を侮辱し、男性をも貶める絵はありません。ふ、きついですねえ、わたしは。彼女もきついが、わたしはもっとひどいです。
ちなみに、19世紀の西欧世界は、こういう男のひがみが、だんだんと強く表に出て来た時代でした。なぜか。西洋史における大航海時代の男性の罪が、この時代に、表に出てきたからです。男性が、だんだんと小さく、醜くなってきたのです。それで、女性の美しさに対する嫉妬の感情が膨らんできた。それが、19世紀という時代でした。
ではここらへんで。彼女はもう、あきれて、出てこないようです。