子曰く、麻冕は礼なり。今や純なるは倹なり。われは衆に従わん。下に拝するは礼なり。今、上に拝するは泰なり。衆に違うといえども、われは下に従わん。(論語・子罕)
先生はおっしゃった。冠は麻で作るのがもともとの礼というものだが、今の時代でそれを守るのは難しいので、ちがうものでつくる。この辺の事情はもっともなので、わたしは世間に従おう。主君に挨拶をするときは、檀下からするのが礼であるが、今は檀上にあがってすることが多い。この点はわたしは譲れない。世間と意見は違おうとも、わたしは自分の意志を貫き、下段から恭しく敬いたい。
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今日は、わたくし流に、訳してみました。
ずいぶん違いますね。やっぱりわたしは、こういう感じになります。ひとつひとつ、丁寧に、真実の静脈を探って、正確に採血するというか。
まあこれを、彼流に訳してみたら、こんな感じになりますか。
世間が何を言おうと、おれはおれだ。
ね。わかりますね。簡単だな。ぴったりですね。言いたいことはこれに尽きる。
もう書くことがなくなってしまいました。
でも、とにかく、世間の常識と違うことでも、自分のまことの気持ちに外れることは、したくはない。人間として、そういう気持ちは、当たり前だと思うのですが。
難しい世の中で、気力を消耗して、生きる気がしなくなって、つい世間に自分を譲ってしまう人も多いですが、わたしは、できることはすべてやり、力の限りを尽くして、自分のまことは守りたい。そういう生き方をしたいし、してきました。
わたしはこれが、わたしらしいということをしてきた。
それが他人から見ると、おもしろいんでしょうね。