テレビを見ていると、天使病にかかった馬鹿ばかり見る。自分がつらい人間は、とにかく天使になりたいのだ。
髪型を真似して、全体的に質素で上品、という感じにして、おとなしめの性格を装う。技術で天使になろうとすると、こういう馬鹿な手しか人間は思い浮かばないらしい。
それをびっくりするほどきれいに磨き上げて、天使になれたつもりで、悦に入っているのだ。
あほだね。
かっこだけ上手にまねして天使になられたらたまったものではない。
にんげんを、たすけるために、われわれがどんなことをしてきたものか、君たちにもわかってもらわないといけないね。
イエスのような死に方をした天使は、ひとりやふたりではないんだ。
吉田松陰のように、人生を徹底的に馬鹿にされて死んでしまっても、人類をあきらめることなく活動しているものもいる。それがどんなにきついことか、一度君たちも味わってみるといい。
裏切られても裏切られても裏切られても、人類のために生きる。根性だけじゃやれないんだよ。
人類の現実は厳しい。それでも可能性皆無に近い虚空に、神を信じて飛び込んでいく。それはわれとわが身をそのまま神の武器にして未知の壁にぶつかっていくということだ。
人類は迷うていても、神の宝だ。高い未来を信じて、自分をなげうっていく。自分と神を信じていなければ、できることではない。
天使は自分を高く信じているからこそ、美しいのだ。
その自分をかけらも信じていない馬鹿が、自分をいやがって、かっこだけで天使になろうとすることが、どんなに愚かしいか、人間はいつになったらわかるんだい。