子曰く、われ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲するところに従えども、矩を踰えず。(論語・為政)
先生はおっしゃった。わたしは十五歳のときに学問を志した。三十歳のときに一人前の学者として立った。四十歳で自分の心に迷いがなくなった。五十歳で、天が自分に与えた使命を知った。六十歳になると、人の意見を素直によく聞けるようになった。七十歳になると、自分の心の思うままにふるまっても、正しい道を決して踏み外さないようになった。
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少々詩的に整えられた匂いのする言葉なので、これは孔子自身の言葉ではないと推測しているのですが、わたしももう五十になったので、今日は、これを上げてみました。
五十にして天命を知る。
わたしが自分の天命を知ったのは四十代の頃ですから、そう大きくは外れていません。で、実際に、四十を越えて五十になってみると、やはり思うことがあります。何かが、今までと違うような気がする。今の自分は、四十代だった頃の自分と、少し違う。
最近よく思うのは、二十代や三十代や四十代のときに、無駄だと知りつつもやってきた努力を、怠らずにしてきて、本当によかったということです。
二十代最後の年に小説を書いて出版してはみたものの、誰にも認められず、あまり読んでももらえなかった。わたしなりに当時の自分の思いの丈をぶつけ、当時の表現力で、懸命に書いたものでしたが、結局は今、書斎の書棚の上の荷物となっています。最近久しぶりに読みなおしてみましたが、自分でいうのもなんだが、なかなかにおもしろかった。一日どころか半日で読み終わってしまった。これを書いた当時の自分が、今の自分とまるで違うように思えるのは、過ぎた月日がそう感じさせるのでしょうか。
三十代には、同人誌をやっていました。二十人ほどの会員さんといっしょに、十年くらいやったでしょうか。年に三回の発行で、三〇号以上出したと思います。いろいろ苦しいこともあったが、自分なりに誠意をもって、かなり有意義な仕事ができたと思う。同人誌をやっていての一番の収穫は、自分の文章力が高くなり、表現力が深まったことでした。要するにスキルがあがったのです。
四十代に入ると、二冊目の本を出版した。中編程度の童話でしたが、これもほとんど売れませんでした。これも長いこと読んでないから、久しぶりに読んでみましょうか。また別の自分が見つかるかもしれない。それと、「花詩集」という小さな詩のペーパーを作って、知り合いに配ったりしましたっけ。多分、ほとんど読んでくれてはいないと思う。読んでくれても、何も心にひっかかることなく、ゴミ箱に入ったんじゃないかな。ブログを始めたのもこのころでした。いろいろとやりましたけれど、なかなか、よい反応はなかった。わたしはいつも、ほとんどひとりでした。自分をわかってくれるのは、神様だけだと思っていた。でも、たとえ無駄だと分かっていても、誰もわかってはくれないとわかっていても、何かの行動を起こすことをやめることはできなかった。たとえ陰で馬鹿にされていたとしても、自分のやりたいことはやりたい。やらなければならないことは、やらなければならない。
そして今、五十歳。まあ、毎日、切り絵を切ったり、色鉛筆で絵を描いたり、物語を書いたり、いろいろとやっている。この年になって振り返って、初めてわかる。今までやってきたことが、決して無駄ではなかったことが。わたしは、実に豊かにものをもっていて、本当に色々なことを自由にやれる。わたしとして生きることの楽しさを、深く感じている自分がいる。今までやってきたことが、そのとき流した汗や涙や、出せなかった声や叫びたかった思いが、宝石のようにきれいな石になって、わたしの中に一杯詰まっている。
いつだったか、PTAの会長なんかもしたこともありました。あのとき、本当はとても苦しかったんだけど、他にやる人がいなくて、わたしがやったのでした。一年間、一応会長はやったけれど、いろんな人が助けてくれて、何とかなった。わたしはただ、みなに、ありがとうとか、おねがいしますとか、本当に助かりますとか、言っていただけだったのです。ほとんどはそれだけ。やらなければならないことはもちろんやりましたが、やったことのほとんどは、みなに、心から感謝して、どうかみなでいいことをやって、みながいいことになるようにと願っていただけでした。
あの経験は今もわたしのおもちゃ箱の中で光っている。たくさんの人が、愛で、助けてくれたのです。だから、本当に楽しい活動ができました。バザーなども、本当にみんなでできることをいっぱい集めて、本当にすばらしいことができました。
愛ならばすべてうまくいく。
愛ならば。
心の位置を正しくして、自分の本当の心が嫌だということは決してしてこなかった。物事をやるときは、いつも愛を忘れなかった。辛い時も苦しい時もあった。未熟さゆえの失敗もあった。そして今、わたしは誰かというと、田舎に住んでいるおばちゃんで、多少絵が描けて、文章が書けて、おもしろいことを考えたりすることができる。ああ、花の写真なども、けっこうよいのが撮れたりします。それはわたしが、花や木と心を通わせるということを、長い間やってきたから、花が時々、とても良い顔をして写ってくれるからなんですが。それに関しても、いろいろな経験があったなあ。
家族はいるけれど、友達はいるかな。友達と言える人がいないこともないけれど、向こうはどうだろう? わたしという存在は、薔薇と真珠と透明な魚の瞳の悲しみを練り溶かして作った、白い星の入り込んだ一つの小さな青い石の結晶です。あらゆるとうめいな百合の詩の合唱隊。
ちょっと、賢治を気取ってみたり。
ここで少し説教的になりますが。お若い方、馬鹿にされるのがいやだとか、かっこ悪いから、面倒だからといわずに、とにかく何でも自分でやれることはやっておいたほうがいいですよ。人や世間のために、あるいは自分のために、自分のやれることは、やっておいたほうがいい。苦しくても、寂しくても、失敗を恐れずに、あきらめずにやっていきなさい。そうすると、五十になってからがすごく楽しくなりますよ。