このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。
大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。
また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。
仏教のある宗派では、住職がその代でたった一つだけ配ることができる高い位の法名がある。
無頼の僧侶がいた。
由緒ある大きな寺に生まれながら家庭環境に恵まれなかったためか、酒を飲んで奇行乱行を演じることが多く、人望もなく、父親からは廃嫡の話も出ていたという。
それがある年に小さな檀家の才女を妻に迎えてからというもの、酒癖も言行もほどほどになり、寺院の運営も積極的かつ合理的に行なって、次第に他山が羨むほどの隆盛を誇るようになった。
ところがその住職は妻の父親が亡くなると、あろうことか一代に一つ限りの法名を、総代長でもなければ、権力者でも、金持ちにでもなく、義父につけた。
世間は驚き、やはりあれは愚僧だ、老いてもどこも改まってはいなかった、と口々に言った。
けれども、それは違うと思う。
彼は自分の人生をどのように立て直したのか、その時誰が親身に力を貸してくれたのか、誰に恩があるのか、そしてそれをどうやって返すのか、分かっていたのだろう。
他者がどう思おうと、非難されようと、関係のないことだ。
もうすでに毀誉褒貶定まらないほど、めちゃくちゃな人生を送ってきたのだから。
自身が持っているたった一つのものを、強い意志を持って贈った、そのささくれ立った真心を思う時、僕はいつも胸打たれる。
自分もそうありたい。