リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

現代音楽のこと、とりとめもなく

2015年02月12日 17時55分37秒 | 音楽系
昨年初めに世間を騒がせた小保方さん関連のニュースはいまだに出てきますが、そのすぐ後に出てきたニセ現代のベートーベンのネタはもうすっかり世間から消え去ってしまいました。それを少し思い出させたのは、昨年末の新垣さんのテレビ大活躍くらいでした。でもそれももう下火。新垣さんももうバラエティ番組には出ていません。

年末のテレビを見ていて、すばらしい才能がある新垣さんをああいう扱いをしていていいのか、いくらなんでももうちょっとリスペクトが必要なんでは?なんて軽い義憤に駆られてはいましたが、本人の承諾の上ででているわけでしょうからそれはそれでいいんでしょう。

ニセ現代のベートーベン問題が起こった背景はいくつか考えられると思いますが、ひとつには日本のクラシック音楽、特に現代音楽の分野を支える仕組みが弱っているからという感じがします。今の日本では、単なる才能のある作曲家というだけではだめで、障害者、被爆者でもある天才作曲家という設定にでもしないと世の中が振り向いてくれない、スポンサーになってくれる企業がいないというのが現状です。こういった現状では当然一般のクラシック音楽もやせ細り、現代音楽の時代的には対極にある古楽もやっていくのが大変ということを意味します。

でも昔の日本は違っていました。50年くらい前は、八幡製鉄コンサート(後の新日鉄コンサート)というラジオ番組がありました。曜日は忘れましたが、夜10時くらいからでした。

このラジオ番組はクラシック専門で、もちろん昨今のクラシック音楽番組によくみられるような、砂糖たっぷりの甘口にしてさらに蜂蜜をかけたような内容ではなく結構硬派でした。当時中堅作曲家であった黛敏郎の「無伴奏チェロのためのBUGAKU」なんかもこの番組ではじめて聴いた覚えがあります。

もともとクラシック音楽、特に現代音楽なんて儲かるものではないとは思いますが、昔はいくつか番組があったり、大阪万博のときには鉄鋼館など現代音楽をテーマにしたものがありました。武満徹の「サクリファイス」という室内楽曲が音楽芸術の付録でついていましたが、桑名市内の本屋さんでその雑誌を買いました。こんな地方都市でもこういった楽譜が手に入った時代です。

これらのものを支えるにはそれなりのお金が必要なんでしょうけど、昔はいまより金回りがよかったのでしょうか。現代の方がずっと世の中の富は多いような感じがしますが、富が偏在しているのでしょうか、現代音楽にはさっぱり。ですから現代音楽の作曲家なんて絶滅危惧種だなんて言っている人もいるほどです。

先日の日経新聞に日本の30,40代の日本人作曲家の話が出ていました。日本で活動している人もいますが、何人かは日本では活動の場が見いだせないのかヨーロッパを本拠にして活動しています。まぁ日本、ヨーロッパなんて対極的に言っている時代ではないのかもしれませんが、ちょっと寂しい感じがします。

興味があった作曲家がいたので、アマゾンでCDを探してみましたが、ありません。コンサートはもっとありませんから、せめてCDくらいと思いましたが、YouTubeにはありました。これはもうCDの時代ではないという別の問題かも知れません。

なんかどんどん話が拡散していってしまって、落としどころが見えなくなってしまいましたが(笑)とりあえず今回はこのくらいで。