上の動画は有名なカッコウの托卵である。ヨシキリの巣に産みつけられたカッコウの卵は、ヨシキリに温められる。だがカッコウの卵はヨシキリの卵より先にふ化し、ふ化したカッコウのヒナはヨシキリの卵を巣からだしてしまう。
まったく悪魔の仕業のように見えるけれども、実はヨシキリの種の保存にも役立っている自然の営みである。ヨシキリを間引くことによって、ヨシキリが同じ環境下で過密となり、共倒れになることを防いでいる。(「生存競争」という考え方だけでは、すべてを説明できない)。
自然界ではただ一種のみが繁栄することはありえない。エサ(被捕食者)が多くても少なくてもいけない。捕食者が多すぎるとエサがなくなり、今度は捕食者のほうも生きていけない。捕食者が少ないと、エサが増え(エサも生物であり何かを捕食しているから)今度は「エサのエサ」がなくなってしまう。
生態系はこうした絶妙なバランスの上に成り立っている。
毒をもった生物が存在するのは、その生物の自己防衛のためではない。有毒生物の捕食者は死んでしまい、食べてはいけないとの学習ができない。だが有毒生物は、じつは捕食者の個体数の調節に役立っているのではないか?(「毒をもつ植物が存在するのはなぜか?」2012-09-04を参照)。
※私の俳句(秋)
敗荷(やれはす)の波にさからふこともなく