(脳死判定のシミュレーション風景。徳島大学病院のHPより引用。)
マスコミが「死亡」といわずに「心配停止」というようになったのは多くの人が気づいておられるでしょう。これは、医師が死亡宣告する前に他の人が勝手に「死亡」と決めつけてはいけないことから来ています。
別に医学界がそうするようにマスコミに申し入れたわけはないのです。私見では、脳死論議が始まってからマスコミが死の定義に注意深くなったのでしょう。
同じことですが、マスコミは「遺体」ともいいません。災害などで医師が行けないようなところにいる被害者は、死亡宣告ができませんから「遺体」とはいいきれないわけですね。
私は、いろんな状況から死亡していると記者が確信したら、「死亡」と報道してもよいと考えています。(でも、災害の行方不明者を「絶望」とはいわなくなったマスコミですから、「死亡」とはもっといいにくいでしょうね。)
※今日、気にとまった短歌
負け投手鼻までひさしひき下げて甲子園終はる夏空の下 (大阪市)桝井幸子