(中島誠之助さん。TV東京のHPより引用。)
写真の中島誠之助さんは大学を出てから骨董の道に入った。南青山に「骨董通り」という辻があるが、その歌を作ったのが中島さんである。(「なんでも鑑定団」については2013-10-28 参照。)
もっと前、私の祖父の世代、多くの町人は丁稚に入った。骨董屋に丁稚に入った場合、そこの主人なり番頭は、丁稚にはよい骨董しか見せなかったという。よい作品だけを見ているうちに丁稚の目が肥えてくる。そこに変な骨董が出てくると、丁稚は直感的に「変だ」と感じ取るようになる。こういうのがホンモノの教育だろう。
芸事はなんでもそうだが、中学を出てからでは遅いのだ。ピアノ、バイオリンなどは4歳くらいから始めなくては何ともならない。
法隆寺の宮大工は高卒だが、先代の宮大工に「高校を出てからでは遅い」と言われたそうだ。さいきん高校の調理科に行く子が増えてきた。これは、よいことである。中卒ですぐに包丁を持たされ材料をいじるのだから、立派な料理人が育つことだろう。
※今日の短歌
二時間ごと貼り替ふるとふ痛み止め痛みは少しと君は言へども
酒井京子(明日香)
人間の味覚は10歳くらいまでに決まるようですね。
学習はなんでも幼いうちからが重要なようです。