(幼稚園の戸外授業。ウィキペディアより引用。)
私が幼稚園生のころ園に歌のお姉さんのような人が来て「☆☆園のお友だち~。こんにちは~」と明るく呼びかけられて困った。そのお姉さんは初対面で友だちとは言えなかったからである。
さらにお姉さんは「隣りのお友だちとじやんけんをして順番を決めましょう」と言った。隣りの奴は嫌いな奴で、「隣りのお友だち」と言われても困ると思った。
「お友だち」にさほど深い意味があるわけではないと知ったのは、その後何年もたってからだった。
幼な子はまじめだから、意外なところで困るのだ。本当の友達は何10年生きてきて、現在でも十指に満たない。
※今日の短歌
病院か施設か迷うわが母の淡いいのちの安らぐ所
平山敬子(山口県)
電車の中で、近所の父親同士が吊り革に手をやりながら、「今日は晴れてますなあ」「そうですなぁ」。車窓を眺めていれば、二人ともそんな事実はとっくに認識しているわけで、無用の会話に思える。
院長先生のように、くそまじめに分析すれば、ばかみたいな会話なのだが、これが日本でもイギリスでもたいへん好まれている日常会話のひとつなのだ。「イギリス人と言ったら、天気の話なのだ」 実に我々日本社会のことを言っているようではないか。
さて、友達でもない歌のお姉さんが、園児に向って「☆☆園のお友だち~。こんにちは~」と言ったという話だが、園児はまだ自我が未成熟な段階にあり、それは言語的には「人称」の区別がうまく出来ないという現象として現れる。
園児にとっては「お友達」とは、同年齢の周囲の園児たちのことであるが、お姉さんが、「お友達」と言えば、園児は自分を含めた周囲の園児たち全員が、つまり自分たちが呼びかけられていると認識するのである。人間は高度な知能を持っているので、園児たちは、この段階で学習するのである。ああっ、こんな使い方もあるんだなと…
イギリスでは、法廷で弁護士同士は互いを my learned friend と言い合う。我が博学なる友よ…だ。初対面でも古風にそう言い合う。friend の持つ「同胞」的意味合いが、人間関係を円滑にする上で好まれるのである。まさしく社会言語学が対称とする言語現象だ。
アメリカでの常套句に your friend and mine というのがある。「あなた方の友にして、我が友」だが、これは俳優など有名人を聴衆に紹介する時の使い方。「ここにお集まりになられている方々の友であり、私の友でもある女優のカトリーヌ・ドヌーブさんです。拍手をもってお迎えください。」「友人」は概念をいっぱい持っている言葉なのである。
シナモン twitter:https://twitter.com/yamkam1020
英国人の天気のはなしなど、聞いたことはありますが正確には知りませんでした。シナモンさんのお話は、いつも勉強になります。今後も書き込みよろしく。