(毎日JPより引用。http://mainichi.jp/graph/2013/10/06/20131006k0000m040050000c/001.html)
伊勢神宮の式年遷宮についてこんなに詳しく報道されたことはない。
20年前、私は名古屋から豊橋へ単身赴任していた。当時はバブルが崩壊した直後だった。新聞もテレビも式年遷宮について、少し触れただけだった。経済が急速にしぼんで、大衆にとっては遷宮なぞどうでもよい話だったのかもしれない。
40年前は学生だった。左翼的な学生運動がやや下火になったところだが、世の中にはまだ学生の狼藉を許してしまうようなところがあった。神宮という最右翼の話を出す雰囲気ではなかったのか?遷宮の報道は記憶にない。
テレビで池上彰さんが宗教法人とはなにかというところから説き起こして、伊勢神宮のことを解説した。彼らしくきわめて明快で分かりやすかった。
仏教にはいろんな宗派があるが、神道には宗派はないのだろうか?仏教では「お東さん騒動」のような対立もあったが、神道には対立はなかったのだろうか?池上解説では触れられなかった。
檀家制度がない神道はどうやって「家計」を保っているのだろうか?地元の神社は町内会を通じて半強制的に玉ぐし料を取るが、名古屋や東京ではそのようなことはなかった。神社の経済についても池上さんは解説してくれなかった。
池上さんの解説に不足感をもつのは、おとといここに書いたように、歴史や伝統への強い希求が私たちがもっている証拠だろうか?種の一員として種の保存に営々とつくしてきた私たちにとって、種の大本であるご先祖様は大地のように私たちの奥底に横たわっていて、何かのおりに突出してくるのだろうか?
マスコミはただ、その「突出」を拾い出しているだけなのかもしれない。
(今日は得意の「断定」ができませんので、ぼかしておきます。毎日「断定」を行うのは結構しんどい作業なんですよ。考察に今少し時間をください。)
(むかしはどこの家にも神棚がありました。いま神棚がある家はどれくらいあるでしょう。うちにもありません。マンションにはないでしょう。それなのに、神様に対する意識は常にある。このあたりが次の考察の鍵になるかもしれません。正月の注連飾りはすたれませんしね。)