テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」が未だに面白い。こんなものが1千万円もするのかぁ、といつでも驚かされる。
(開運!なんでも鑑定団のホームページより)
番組が始まったのが、1994年というから、私はもう20年近くこの番組を見ていることになる。アシスタントの吉田真由子さんは、初めのころアイドル風だったが、いまや立派なおばさんだ。相変わらずただ笑うだけで、ほとんど言葉を発しない。あのころはメインの「お宝」だけがスタジオで開陳された。両開きのドアから麗々しく「お宝」が登場する。そのドアを開けるのだけが仕事の女の子がいて、こんなところにも凄い美形をそろえているのだなと感心した。(今はそうでもない。)
かつてこの番組が、イギリスの同種の番組のパクリだと批判されたことを知る人は少ないだろう。元のイギリスの番組は、視聴者が物置きから出てきた古い顕微鏡などを鑑定士に鑑定してもらう番組で、ショウスタイルではなかった。鑑定価格も5千円ほどで、さほど引き込まれる番組ではなかった。
初代の司会者、島田紳助さんは1980年代の漫才ブームでビートたけしさんとともに頭角を表わした芸人である。私は浜松の赴任先で漫才ブームに遭遇した。まだ長男が生まれたばかりのころだった。
紳助さんは反応(つっこみ)が他の芸人より、0コンマ2秒くらい早い。そこが一流とそうでない芸人との違いである。今、芸人ブームだが、生き残る人はいないだろう。紳助さんのような速さの芸人が見当たらないからだ。彼らの世界は100メートル走のようなもので、0.2秒も違ったら話にならない。この話はまた別の機会に。
私は絵画は昔から鑑賞しているから、油絵や日本画についてはある程度分かる。これまで20年近く見てきて、未だに価値が全然分からないのが焼き物である。とくに抹茶茶碗がよいのか悪いのか分からない。中島誠之助さんの言うがままに聞くしかない。
おもちゃの値段の高さには驚く。本当にアメリカのオークションでは、そんなに高値がついているのだろうか?ブリキのロボットが50万円も100万円もするのだろうか?北原照久さんは古いおもちゃの値付けで食べている人だから、値段を釣りあげているのではないか?
古文書の鑑定をしている増田先生がどんな書でも読んでしまうのが面白い。これまで学者は鑑定だけして値付けをしないのがこの常だったが、この人は気取らずにどんどん値付けをしてしまう。
西洋アンティークも面白い。鑑定士が「この工房は1895年から1年間しか活動しなかったから、そのころの作品はなかなか出てこない」なぞと衒学的に説明するのだが、よく調べたものだと思う。
まだ「鑑定団」をまだ見たことのない人には、一見をお薦めする。
参考:骨董品の値段
:昭和初期の食器
(開運!なんでも鑑定団のホームページより)
番組が始まったのが、1994年というから、私はもう20年近くこの番組を見ていることになる。アシスタントの吉田真由子さんは、初めのころアイドル風だったが、いまや立派なおばさんだ。相変わらずただ笑うだけで、ほとんど言葉を発しない。あのころはメインの「お宝」だけがスタジオで開陳された。両開きのドアから麗々しく「お宝」が登場する。そのドアを開けるのだけが仕事の女の子がいて、こんなところにも凄い美形をそろえているのだなと感心した。(今はそうでもない。)
かつてこの番組が、イギリスの同種の番組のパクリだと批判されたことを知る人は少ないだろう。元のイギリスの番組は、視聴者が物置きから出てきた古い顕微鏡などを鑑定士に鑑定してもらう番組で、ショウスタイルではなかった。鑑定価格も5千円ほどで、さほど引き込まれる番組ではなかった。
初代の司会者、島田紳助さんは1980年代の漫才ブームでビートたけしさんとともに頭角を表わした芸人である。私は浜松の赴任先で漫才ブームに遭遇した。まだ長男が生まれたばかりのころだった。
紳助さんは反応(つっこみ)が他の芸人より、0コンマ2秒くらい早い。そこが一流とそうでない芸人との違いである。今、芸人ブームだが、生き残る人はいないだろう。紳助さんのような速さの芸人が見当たらないからだ。彼らの世界は100メートル走のようなもので、0.2秒も違ったら話にならない。この話はまた別の機会に。
私は絵画は昔から鑑賞しているから、油絵や日本画についてはある程度分かる。これまで20年近く見てきて、未だに価値が全然分からないのが焼き物である。とくに抹茶茶碗がよいのか悪いのか分からない。中島誠之助さんの言うがままに聞くしかない。
おもちゃの値段の高さには驚く。本当にアメリカのオークションでは、そんなに高値がついているのだろうか?ブリキのロボットが50万円も100万円もするのだろうか?北原照久さんは古いおもちゃの値付けで食べている人だから、値段を釣りあげているのではないか?
古文書の鑑定をしている増田先生がどんな書でも読んでしまうのが面白い。これまで学者は鑑定だけして値付けをしないのがこの常だったが、この人は気取らずにどんどん値付けをしてしまう。
西洋アンティークも面白い。鑑定士が「この工房は1895年から1年間しか活動しなかったから、そのころの作品はなかなか出てこない」なぞと衒学的に説明するのだが、よく調べたものだと思う。
まだ「鑑定団」をまだ見たことのない人には、一見をお薦めする。
参考:骨董品の値段
:昭和初期の食器
なんでも鑑定団は、以前は私もよく見ておりました。でもテレビが地上波からデジタルに移行したとき、鑑定団を放送していたテレビ大阪が見れなくなりました。京都市内の一部地域では電波の関係で今でも見れる地域があるそうですが。
というわけで、いまではすっかりご無沙汰です。私は骨董等の収集趣味はありませんが、見るの大好きです。骨董ファンにはたまらない番組でしょうね。
京都で定年後生活より
私は一時「鑑定団」を見なくなったときがあります。それは、アクセサリーデザイナーとか服飾専門家などの(美的なものと関係がある)素人を何人か出演させて、出品物の善し悪しを当てさせる企画があったときでした。
視聴者としては、素人の「鑑定ごっこ」は見るに耐えないわけです。それは要するに「判じ物」であって、面白くもなんともないんです。
それに引き替え、最近では出品物が本物であろうと贋物であろうと、作者の紹介をみっちりとやってくれます。谷文晁なんて、紹介があるまで知りませんでした。
現在では、こうした解説を喜んで見ている私です。その後で値段に驚くわけです。
この番組の面白さは、普通の人が出てくることにあります。身の回りにどこにでもいそうな依頼人と、何だか不似合なお宝の、思いがけぬストーリーが丹念に紹介されますから、鑑定の結果が高くても安くても、お宝と共にいい人生を歩んでほしいという優しい気持ちになれます。
テレビは、普通の人のありふれた人生ににじむ滋味を描くことが得意なメディアだと思います。
「世界ふれあい街歩き」(NHK)や「モヤモヤさまぁ~ず」(テレビ東京)も好きな番組です。どちらも、過剰な演出や仕込みをせずに、街の中で人知れずしたたかに生きる普通の人がたくさん登場するからです。
「鑑定団」「街歩き」「モヤさま」には、普通の人々の屈託のない笑顔がたくさん出てきます。この笑顔が世界から消えるようなことが起こらないように、世の中の動きをきちんと取材して分かりやすく伝えることで、私たちが選択を誤らないように手助けをすることも、テレビの大切な役割です。
さすがにテレビのプロらしい Hda さんの感性で、なるほどと思います。普通の人のなんでもない人生の滋味を卒なく描けるメディアはテレビを置いてほかにないかもしれませんね。
NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」も、市井の何でもない人の暮らしと笑顔を伝えています。でも実は私はこの番組がダメなんです。鶴瓶さんが個性的な超有名人だからこそ、一般の人が笑顔で迎えているように見えてしまうんです。
テレビクルーがたくさん押しかけてきて、そこに鶴瓶さんがいなかったら、一般の人は「この騒ぎはいったい何なんですか?」と青ざめてしまうのではないでしょうか?実際、鶴瓶さんがいてもそうなってしまい、オンエアされない訪問も多いのではないかと推察します。
BSの海外旅行番組で、「旅人」が素顔を見せないままで取材が続けられる番組がありますよね。そういうものの方が安心して見ていられます。個人で旅行したら、こんな外国の路地裏のパン屋さんとしゃべることなんてできないだろうなぁ、と思いながら見ています。