(降伏文書に署名する重光外相。ウィキペディアより引用)。
72年前のいまごろ、日本国民はどんな気持ちだったのだろうか?両親も含めて戦争体験者を私はたくさん見てきた。
戦争体験者にも教養というか、程度の高い人と、そうでもない人がいる。テレビのインタビューなどで「戦争は、やってはいけない」と答える体験者は程度が低いほう。程度が高い体験者は、そんな当たり前の感想は言わない。
どんなことを言うかというと「戦争に負けるとは、こういうことかと分かった」とか「負ける戦争は、やってはいけない」と、内容が微妙に違うのだ。(戦争するなら勝たなくてはならない、という意味が含まれている)。
勝ち戦なら国民は「行け行けドンドン」と熱狂する。程度が低い層ほど興奮する。日露戦争に勝ったときなぞは日本がギリギリで勝ってもう余力がないのに、なぜもっと攻めないのか!と程度の低い層が暴徒化して日比谷で焼き打ち事件を起こした。
だから「戦争はいけない」という発言には何の意味もない。「話し合いで」という人もあろうけれども、そもそも外交とは背後に武力がなくては成り立たないのである。(中国、北朝鮮を見よ)。
(程度が高い低いというのは私の価値判断であるが、その人と付き合っていれば自然に分かるような緩い基準である)。
※私の俳句(秋)
虫の鳴く闇へとバスを降りにけり
おっしゃる通り。
核もダメだかけど、通常兵器もダメ。
歴史を遡ると、弥生時代から殺人は始まった。
それ以前は戦い傷の骨が出土しない。
農耕文明が発達して村ができるようないなったこと(定住生活)と戦争の発生が関係がありそうです。
http://blog.goo.ne.jp/nakazato-hitoshi/e/0d781725d14201d7f82a8b47e94360a6
(1)
この言葉に意義を唱える人は少ない。かつてよく主張された「自然権」的な思想によく似ている。生まれながらにそなわった人間としての権利という発想だ。
原水爆の不存在は、有無を言わせない条理であって、生まれながらにして備わった人間としての権利は、原水爆の不存在を絶対肯定する権利をも含むという訳だ。
(2)
しかし、私はへんちき論をみずから肯定する「院長」と似ているところがあるのかも知れない。同じ世代的よしみなのかも知れないが、私はあまのじゃくだ。
なぜなら、原水爆をなくしても、高性能の通常兵器がいくらでも残るからだ。人類は広島と長崎の経験を持っている。負の遺産といってもいいかも知れない。
(3)
広島、長崎には核兵器が投下されたが、日本各地への焼夷弾による攻撃は日本全国の焼け野原の写真を見るだけでも、リトルボーイとファットマンによる被害を上回ることは容易に想像がつく。爆発力として相当にヘボい焼夷弾でさえ、あれほどの被害をもたらしたのである。核兵器なぞなくても大戦争は十分に挙行できるのだ。
(4)
核兵器は、世界に存在しているが、事実上使えない兵器として君臨している。核抑止力は観念的な発想だが、現象論的には、抑止力が働いているとも言えるのが現実世界。
その現実世界では、第二次大戦後、通常兵器による戦争が途絶えたことはない。イラクがクエートに侵攻して始まった湾岸戦争では、退却するイラクの大舞台を航空部隊が後ろから急襲して十万と言われる兵員と輸送車領、戦車等を灰塵に帰せしめた。小型の核兵器を使用したも同然の破壊力だ。
これを、核兵器じゃないからいいんだ。イラクが勝手に侵攻して戦争を開始したのだから、責任は全てイラクにある。全滅させることは正義なのだ…などと言えるのだろうか。
(4)
戦争の火種は常に人間の心の中にある。近代の文明国においては、具体的には、戦争を統括する文民政権の中枢と、それに一体化した国会の意思次第なのだ。軍隊には作戦の履行を命じるトップの上官と、その上官の指揮権を肯定する「文民」の最高司令官、すなわち大統領や内閣総理大臣、そして彼らを支える国民的総意がある。歴史を振り返れば、人類史に戦争が絶えた試しはない。核兵器廃絶が、戦争の廃止にはつながらないというのが正しい論理だと私は思うのです。
最初のことはわかりました。
そういう人たちが多いだろうと思います。
それから、自分の考えを持てない人は、
考えられない人や考えたくない人たち?
そういう人たちは周りの状態に紛れ込んでしまうのでしょうね。
また頓珍漢なことを書いてしまったかも
しれません。
どうもすみませんでした。
今回、僕は一遍にいろんなことを言おうとして、わかりにくくなったようです。
言いたいことの一つは、「平和な時の平和論」は要らないということ。(ところが、程度が低い人は「平和な時に平和論」を唱え、「戦時には好戦論」を唱えるものなんです)。
もう一つは、「戦争」とひとくくりにするべきではなく、戦争には勝ち戦と負け戦があるということ。
この二つは別物です。
「戦争はいけない」というようなアバウトな人は自分の考えを持てません。
そういう人は、勝ち戦のときは同じ口で「もっとやれ」と言う人です。
いやぁ、解説しても分かりにくいですね。解説自体が難しいです。
話はズレますが、トラックは兵器か民生品かという議論があります。大砲を運べば兵器だが、食べ物を運ぶなら民生品?
では、その食べ物が前線の軍隊の食糧だったとしたら?
こうして物事にはスパッとは割り切れないところがあります。
そのような意味でテロと戦争のどこが違うのか僕には分かりません。
だまし打ちとか自爆とか、戦争はなんでもアリです。
だからテロは戦争の一様態だと思います。
このたび北朝鮮が東京をねらってICBMを打って、口では「ごめん、グァムに打ったが失敗した」と言っても許せますか?
どうも戦争とは「仕方なく始まる」もののようです。
うーん、戦争の説明ってホントに難しいですね。
程度が低いということには、戦況を正しく
報道していないから、というのは入らないでしょうか?
テロ組織の実行犯は、知識も教養もなく、感情を煽られてやっているのだろうなとは思いますが。
今年は天候不順で暑くなったり寒くなったりしていますので、ご自愛くださいね。