![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/e7/497d837a401f220c6a0e9445ea12017c.jpg)
(空襲警報発令・警視庁玄関前。ウィキペディアが『警視庁百年の歩み』(著作権切れ)から引用したものからの孫引き。)
このたびの集団的自衛権行使の賛否にからんで80代半ばの人たちの発言を、新聞が投書欄に取り上げています。
80代半ばの人々は先の戦争を思春期に体験しています。彼らの意見の中でも、新聞は「先の戦争は悲惨で、誤まっていた」という見解をもっぱら採用しているようです。
ところが86歳の私の母の感想は違います。東京大空襲を経験している母は、「とにかく大変だった」とは言います。しかし、「誤った戦争だった」とは言いません。母の意見は「戦争に正しいも誤ったもない」ということです。投書者の「誤っていた」という感想は、あとから教育で刷り込まれたものではないでしょうか?
亡父が満州でロシア軍の捕虜になりシベリヤ送りになったことは 2008-08-13 に書きました。亡父はシベリヤでの抑留生活がいかに苛烈だったかを私に語りました。しかし、亡父もまた「誤った戦争だった」とは言いませんでした。
亡父にとって、戦争とは勝つか負けるかのどちらかで、負けるとはこういうことかと亡父は骨の髄まで分かったそうです。負けたから「誤っていた」と総括されましたけれども、勝っていたら戦争に対する評価はまた違っていただろうと、私は推測します。
「誤っていた」と投書した高齢者は、もし勝っていたら同じ口から戦争賛美の言葉を言ったことだろうと、私は思います。
※今日、気にとまった短歌
前後の子等おのおの傘をさしていて母は合羽で自転車をこぐ (横浜市)宇佐美伸子