(アリストテレスの像。ウィキペディアより引用。)
(今日の話は興味のない方には不向きだからスキップしてください)。
随分むかし、ある大学の哲学科の聴講生になったことがある。古代ギリシャの哲学者はすごいなと思った反面、現代の哲学者の論はダメだと思った。
当時、流行っていたハイデッガーの論なんて何を言っているのか分からん。言葉遊びかとも思った。ハイデッガーは英語の be 動詞にあたるドイツ語の sein (ザイン)を名詞化して s を大文字にした Sein という概念を作った。
ザインは「存在」と日本語訳されているが、それではもっと分からなくなる。ほかにも、da-Sein , in-der-Weld-Sein (それぞれ現存在、世界内存在と訳される)といった珍妙な用語が使用され、日本語で読んだら絶対に理解できない。
自然言語にたよった新造語はいただけない。歴史的にハイデッガーは残らないだろうと直感した。プラトンやアリストテレスらが生き残ったのは新造語を使用しなかったという点にもあるだろう。
じじつ今、ハイデッガー哲学を学ぼうとしている人は極めて少ないのではないか?(半世紀前には大流行したのに・・・。ハイデッガーの理論をもとにした「現存在分析」という精神療法が提唱されたこともあった。現在「現存在分析」を学ぼうとする精神科医や心理学者はゼロである。屁理屈ばかりで治療効果がないから!)。
※私の俳句(秋)
昼の熱ひきずつてゐる星月夜