えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・足に靴

2016年07月09日 | コラム
 何もないように見える床でよく躓いた。カーペットのわずかな重なりに靴先が引っかかることもあれば、硬いタイルの隙間へ親指が嵌り爪先にこつんと靴が当たることは時々あった。些細なお笑いやご機嫌取りと見て眉を顰める人もいたが当人は理由もなくただ躓いていただけである。カーペットを剥ぐ勢いで転ぶことも無く、靴先に当たる小石を蹴飛ばしそびれたように身体がわずかに傾いてしまう。

「よく躓かれるでしょう」と、足の型を紙に取りながら靴屋の店員は言った。そうです、と答えると彼女はペンを脇に置くと手を私が足を乗せている台へ置いた。尺取虫のように掌底を床に当て、長い指がばらばらと折れて床に付く。「足もこうして指を使って歩くんですよ。だから土踏まずも出来るんです」両手を使って彼女は手を歩かせてみせた。歩き方の問題か、と訊くとそうだと頷いた。

 ローファーを履いて階段を駆け上る学生時代、片足から靴が脱げて階段に取り残され、下から押し寄せる迷惑げな顔の群れから視点を避けながら靴を履き直して階段を上った。ローファーが別の靴に代わってもそれは変わらず、留め具のない靴を履いて急ぐと必ずと言っていいほど道中で靴が脱げる。一度足にぴったりと合わせるという売り文句で評判の靴屋で文字通りぴったりとした靴を買ったが、一日履いて全治三週間の靴擦れが三回出来たので靴を履くことを諦めた。

「というわけで、留め具のある靴以外は履かなくなりました」「全治三週間ですか」靴の型を取り終えた店員は紙に数値を書き込んでいた。旧家を改装した店舗の中庭に敷き詰められた緑の苔が薄く降り続く雨に濡れて艶めいている。店員は私の裸足の足を持ち上げて矯めつ眇めつすると、やがて店の奥に入り靴を選び始めた。私は庭に降る雨粒を黙って王様のように高い椅子の上で眺めていた。
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