えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

マシュー・ボーンの白鳥の湖

2010年06月13日 | 雑記
バレエは踊りなんだと感じました。からだを動かす型のひとつであり、たいへんに
熟練した全身の使い方を求めに求めるものなのだと感じました。
この舞台は指先、目線のひとつまでからだを見つめざるを得ない、動きと言うものに
真正面から向かわざるを得ない、踊りの元である動きの素を全員がぶつけてくる、
油断してみているとうちたおされている作品です。

ザ・スワンとだけ名づけられた白鳥を踊る男性が、左奥から右手前に斜めに走り抜ける
足は走りのスピードにのって舞台を軽く蹴り、目を上げると飛んでいる白鳥がいて、
また地面に足をついたかと思うと高く宙に浮いて角に降り立つ。上体は動かない。
走る足の動きも、駆けているというよりはスキップの続きのように床に触れるしぐさが
見えるだけなのに、からだの全ては疾駆している。白鳥の水をかく足取りからくちばし
のかたむきが、表現することを通り越してからだの動きの一部になっているのです。
全ての人が、自分の体の動きがなんのために行われているのかをよくよくと考えて
いるのでしょう、振る手の一つに呼吸がこもっています。

姫と王子のロマンスから一転、人々と白鳥たちとの関わりの綾の中軸に悩める王子を
据えて描いた物語は、曲ごと踊りがひっぱって進んでゆきます。あの派手で壮大で
重厚な「白鳥の湖」の一連が踊りに随っているのがなによりすごい。有名なあの
メロディも、この曲も、皆踊りに引きずられてクライマックスへと運ばれてゆく。
マシュー・ボーンはチャイコフスキーの古典を音楽は音楽として、物語はその骨組み
―王子と白鳥の出会いそれだけを抜き出しました。肝心なものは何も崩れていないのに、
さらに優れたものが目の前に現れる驚き。からだの動きに手も心も揺さぶられて過ごす
最高の時間でした。

・追記
観終わった後で、集団が動くシーンの並びや位置のズレを気にするのは日本人だけ、
と言う話になった。個人的には、西洋では普段の動きがわりとガチガチしていたから
舞台の上ではせめて自由を、ということと、日本では普段の動きがラフな分舞台の上は
厳密な型をきれいにみたい、ということじゃないかと所感。印象なのであしからず。

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