えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

漫画のこと

2010年10月31日 | 読書
数年ぶりに諸事情あって部屋の床に積んであった本をかたしました。
ここまで部屋はひろいものかと想いつつ、部屋の左右に移動した上
高さの増した本の山にとほうにくれている夕方でした。

めくりなおしてみると、昔から今にかけて漫画のコマはゆっくりと
大きくなっていて、その分本もどんどん大きくなっていることが
わかります。

コマをつめてつめて描きこまれているのかと思いきや、一つ一つの
コマをつなげる時間の動きは昔のほうがこまやかなのかなと思います。
一瞬の動作や変化を分ける細かさではなくて、20ページとかそこらで
終らせる話全体の流れを汲み取り、必要なものを削いで詰めてゆく
神経のこまやかさはあのぎゅうづめのコマにしか出ない味なのだと
思います。

漫画で何を描くかということと、どう描くかということのなかで、
何を描くかということの「なに」が、「絵」であり「自分」になって
しまっている比重の重さが今のまんがには濃くていけません。

絵としてはむしろ何かを表現しようと思わなくてもよいのかもしれません。
何を絵として埋めてゆきたいか、そこを自分の生き方としてからだで考える。
考えて頭でっかちになってもしようがない。

見せ方がある程度方法になって、誰でもわかるように見える今から始める人と、
何も先例が無いものを作り出せて出さざるを得なかった昔とは何もかもが
ちがうので、本来比較するべきものでもないのですが、
手元に置いておきたいものとしてはやはり後者をえらびます。

ただ中身が昔だからといって、オンデマンドはやっぱり敬遠してしまうのは
私の生まれ育った手がまだそれを許さないだけで、これからの人は不自由なく
きっと暮らしてゆけるのでしょうか。

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