えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・晴天に反響

2020年11月14日 | コラム
 今年は火災の多いとされる三の酉のうち二日が土曜日と休日に当たっているため、もし例年どおりであれば歩道は人で埋め尽くされて神社にすら辿りつけなかっただろう。ただでさえそこまで広くはない道の三分の一を屋台が占め、巨大な熊手を抱えて帰宅或いは帰社する人のために道路の一部は歩道となり、警官が出動して車が歩道に入らないよう誘導する。日が暮れるにつれて道路の端にはチューハイの空き缶がこそこそと増え近くの飲み屋から出てきた人も流れにつられて神社に進む。そういった一年の終わりの締めくくりの賑わいも今年の疫病は攫っていってしまった。

 テキ屋も飲み屋もいなくなった境内には熊手売りたちが変わらず犇めいていた。華やかな天幕の下には飾りをよく見てもらうために昼間から明るい電灯が点いていた。ぎっしりと吊り下げられた熊手を飾る金ぴかの縁起物が光を反射してどの店も輝いている。見世物小屋が毎年小屋をかけていた正門の左脇には誘導線が張り巡らされ、ビニール手袋をはめた白い作務衣の職員がアルコールスプレーを参拝客の手に吹き付け、マスクを着けていない人にはマスクを配布していた。手首を見せてほしいと言われたので袖をまくると、少し前までは額に当てていた体温計がかざされた。6度1分、大丈夫ですね、どうぞ。

 大きな本殿の前に並ぶ列だけは左右にはみ出すことも横入りすることもなく整然と静まっている。本殿手前の小さなお社には昨年の熊手をお返しする人が列を作りじっとそれぞれの願いを納めるために待機している。不況の時は神社の人出が増えるのだと昔聞いたが、これほど外へ出ることへ否定的な世の中の休日の昼間にも来年のために祈りに来る人が多いこと、そして列から漏れるざわめきの少なさを目の当たりにすると何も言えなくなった。

 社務所に立ち寄るとちょうど手前の店で熊手が一本売れた。顔よりも大きな熊手を抱えた初老の男性を囲む拍子木が高く鳴る。普段は近くの客も自分から足を止めたり売り子の呼びかけに集まって「それでは皆様ご一緒に」と手拍子で祝福するが、今年は店の人だけで客は携帯電話やカメラを構えている。反響するように奥の店先からも合いの手のように掛け声と拍子木が休むことなく鳴る。ビルとビルの間の神社の空を飛ぶ鳥が、それに合わせるように交互に鳴き交わしながら大通りに面した出口のほうへ飛び去った。
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