いつかはあの頂に

還暦過ぎて少し焦っている老クライマーです。いつかは昔のようにアルパインクライミングへの復帰ができたらいいねえ。

桂林旅行(9/30)龍背梯田

2012-10-06 | 旅行 桂林
翌日はゆっくり9時に出発。

路地裏では名物の竹ご飯(もち米に鶏肉とかぼちゃが入った炊き込みご飯です)の準備をしているオバサン達がいました。


宿から一旦展望地の「七星伴月」まで登り、昨日夕方登った「九龍五虎」展望地までほぼ同じ高度を水平に移動します。


そこからダム湖横を通って、さらに林道をすこし歩き、ハイキング道のように山間を抜けて「中六」まで足を延ばします。



時折「中六」から戻ってくるグループとすれ違います。この辺りになると中国人観光客は少なくて欧米のハイカーが多いです。

「中六」手前まで行きましたがバスの時間もあるので、その先の「大寨」までは行けませんでした。


昼過ぎに旅館まで戻って簡単な食事をして平安のバス亭まで下りました。


バス亭近くにある風雨橋


昨日予約していた桂林行バス(車番を聞いていた)を駐車場で見つけて、その近くで出発を待ちますが、ちっとも動く気配がありません。

私以外に乗客もいないみたいだし。


出発時間が来ても動かないので、すこし焦っていると、向こうの方のミニバスの運転手が私の方に向かって手招きしています。

どうやら客が少なくて欠便になったようです。違うバスに乗せてくれるようで(もちろん昨日バス代は払っていたので当たり前ですが)なんとか桂林に戻れます。


棚田は貧しさの象徴です。いまから20年前はこの辺りは観光客など来ない村だったのでしょう。

長い時間をかけて考えられない労力を費やして少しずつ拡大するしか方法がなかった歴史があります。

いまでこそ平安村は棚田をうまく観光地として整備し、観光客相手に入場料を取り、中には旅館やレストラン、土産物屋で現金収入が昔の数十倍以上になった家もあるかと思います。

ではミニバスも行かない谷を隔てた向こうの山に見える棚田の村人たちには、棚田観光の恩恵を被ることはないのでしょう。

向こうの山の人達はこの格差をどのように思っているのでしょうか?


平安村の住民は一応に年配の人達ばかりでした。もちろん少数の若い人達がこれからも棚田を守っていくなんて考えられません。

棚田が棚田であり続ける限り観光客も来るのでしょうが、年寄が棚田でのコメ作りに従事できなくなったときには、ただの荒れた階段状の山でしかなくなります。

近いうちにそのようになるのではないかと心配になりました。
コメント
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