いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

パラダイム。 paradigm

2010-09-10 19:56:40 | 日記
 (1)世の中、あやまれば済むという問題は何ひとつない訳だけれど、責任者が衆目の中
(会見)で頭を下げて終わりというセレモニーと、問題本質とのギャップの大きさばかりが
浮き上がる。
 つまり、「その後」の検証と報告と改善のプロセスが開示されずに見えてこないから誤り
は繰り返される。

 医療ミス、院内感染による患者の幾度とない死亡例を聞くと、人命を預かる医療機関の
使命感が日常の繰り返しで希薄になり、技術や制度に影響して精度を欠いての事故を招
いていると考えてしまう。
 医師が最善の治療行為の中で犯した医療ミスの結果が、人命を落すことになり当座はあ
やまるしかないわけだけれど、医療機関の陳謝と患者の人命との対比の大きさに釈然とし
ない、捉えどころのないものを考えさせられる。

 それは、その結果をどう分析し、検証し、改善に取り組んだかが、医療機関当事者から開
示されない医療体制に不信があるからだ。
 まるで医療ミス、院内感染は、自動車のリコールのように「付き物」のように感じとってい
るかのような医療システムの錯覚さえ憶える。これには、専門的立場と市民感情の大きな
落差がある。
 医療機関は、日常的な医療ミス、院内感染の防止に向けた医学、医療理念、対策を広く
開示すべきだ。

 当然の帰結による銀行破たん、企業事件も責任者が頭を下げてあやまれば落着という繰
り返しでは、社会のパラダイム(paradigm:模範)がもたない。医療も含めていづれも、あまり
気の利いた説明責任(accountability)を聞いたことがない。

 (2)毎度お馴染の、新司法試験の今年の合格率が4回連続のダウンで最悪の25%を記録
した。政府が目標とした今年を目途の3千人増員に、はるか届かない2千人だ。
 対策として法科大学院の定員の削減、教員も含めて教育、教科内容の精査、精度を高め
る改善は打ち出しているが、果実はみられない。

 結果、市民感情の導入とかいって裁判員制度に司法能力の補足をまかせる現状だ。検察
の捜査能力の低下も相まって、高い精度の公正で公平な司法判断、能力が将来的に維持さ
れるのか、法科大学院改革が正念場だ。

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