いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

教育の透明性と開示性。educational transparency,disclosure

2010-09-15 20:28:09 | 日記
 (1)今日のメディア新聞は、10P近く使って民主党代表選の結果報道。どちらもどちらの候補
者の中で、首相の対立候補が数か月前に政治とカネの責任を取って辞職し、国民の80%以
上が復帰を望まない前幹事長とあっては結果が重要なのではなくて、結果に責任の持てる日
本の政治理念がただ試されただけの、国民から見れば当然の結果としての見放された代表選
だった。

 それならそれで難問山積の政治、経済、社会打開の切り札となる高度な政策論議がなされ
るのかと思えば、双方到底理解できない不毛のネガティブキャンペーンだった。
 結果を受けての円高ドル安は、素直に政治の消極性を見越して1ドル82円台にまで上昇
した。その程度の代表選だった。

 (2)その新聞の中で、初等、中等教育の小、中、高生の暴力行為が全国で過去最多の6万
件を超えたとの報道が目を引いた。特に、小学生児童では前年比較10%近くの増加と最大
の伸びを記録した。集団で連携する暴力行為の時代から、今は一人での暴力行為(いわゆる
「キレる」)が特徴だ。

 「子育て不在」の時代の中での集団、他人との関係の中で、興味、関心、理解の共有性に
なじまず、不特定多数の中では感情を適度にコントロールする能力不足が、持って行き場の
ない感情の起伏の大きさをデータが示す。社会資本に転嫁しようという「子育て不在」の象徴
だ。

 (3)ところが目を引いたのは、それではない。先日は名古屋市の市議会リコールの署名運動
報道では、丁寧にも各区別の有権者数、署名数、比率まで示してデータ開示して、まるでメデ
ィアが署名合戦を煽(あお)るようなあってはならない報道スタイルを取ったのに、今日の教育
(学校)現場での暴力行為については全国統計だけで、都道府県別、それぞれの各地域、区
別のデータ開示(disclosure)をしなかった。

 この暴力行為問題こそ、生活する地域全体での現在起きている初等、中等教育の問題認識
の共有性による家庭、学校を含めての積極的な取組みが必要なのに、地域への情報開示の
現状がこれでは不透明で、地域ごとに問題認識の共有性が保てない。
 学校現場での諸問題は、高度な透明性(transparency)、開示性(disclosure)が問題解決に
は大事な基本となる。今までの余りに不透明で、閉鎖的(closure)な初等、中等教育現場の
教育姿勢が今回のデータに反映している。
 メディアにも本末転倒でない透明性、開示性の選択能力、報道スタイルが求められる。

 (4)一方、透明性、開示性とは、起きている事態の原因、経過、取組み、結果、改善の全て
のプロセスである。そこには、当然、本質にかかわらない事例選択の余地はある。
 地方の公立学校で起きた体罰に関する報告書で、公開の求めに県教委は「教員名など」を
黒塗りにして公開した。

 これに対して教員名などの公開を求める訴訟があり、地裁は「公開されるべき」と命じた。
特に初等、中等教育では、個人に責任を転嫁する問題はなく、採用から教育指導、検証、教
育方法まで組織(学校)が責任を持って標準化(standard style)、環境整備をはかるものだ。

 体罰にかかわった教員名の公開の必要性の理由は報道では定かではないが、体罰行為に
よる処分で当教員は個人としては一定の社会的制裁は受けているのが当然で、組織(学校)
の管理上の問題が本質だ。
 教員個人名を開示する特別の理由があったのか、教育現場の問題の解決には起きている
ことの透明性、開示性は基本だが、個人名の開示が構成必要要件になるのか、個人に責任
を転嫁して済むものではない。

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