いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

子どもの命は天命。 childish life is providence

2012-06-15 19:42:18 | 日記
 (1)自らの命の尊厳を守ることと、他人の命を救うことの比較検証という未来永劫(えいごう)に結論の出しようもない善良で荘厳な究極(ultimate)の選択だ。
 内戦で自国民同士が幼い子どもの命まで引き換えに殺害し合う征服し合う同時社会(世界)との対極にある人間の尊厳性だ。

 改正臓器移植法によりそれまで臓器提供に必要とされてきた文書による同意が不要となり、生前に拒否の意思表示のない限り制限がなくなった。15才未満の難病を抱える人、家族は高額負担の海外医療機関に頼るしかなかった命、臓器移植に時代の要請を受けて同法改正し、制限を撤廃したものだ。

 実質15才未満の子どもの場合、後見人の両親、家族の「判断」に子どもの命のすべてが任(まか)されることとなった。
 子どもではあっても命の尊厳を両親、家族の「判断」にすべて任せることへの確執、倫理、人間性本質の問題があって、なかなか踏み込めなかった究極の選択領域の問題であった。

 (2)儒教思想(愛、思いやり)に根付く長い歴史的倫理観を持つ日本では、子どもの命こそ「天命」(childish life is providence)として誰かれなく守るべき対象であり、何人も干渉などしようもない聖域(sanctuary)であることに、これまで医学、法律が踏み込むことはしなかった。

 一方、それとは反対に子どもを私物化する親の資格もない両親の社会倫理の欠如問題も広汎になってきて、子どもの虐待、親の見識、良識不足が社会問題化しての慎重論(虐待と脳死関係)が「歯止め」ともなっていた。
 しかし、救える命が高額な海外医療に頼らざるを得ない無常現実の中で、2年前にようやく同法改正施行されたものだ。

 (3)14日、6才未満の国内で初めての親、家族の同意にもとづく脳死判定による臓器提供、移植(15日)が行われた。6才未満の医学的特性理由(幼児の悩回復力は高い)による特に厳格な判断基準による脳死判定の上、移植ネットワーク・コーディネーターによる丁寧な説明(報道)の上での6才未満の脳死判定、提供、移植の進行判断だった。

 (4)両親は「誰かのからだの一部となって長く生きて~子どもを誇りに思う」と心境を述べている(報道)。幼くして背負った難病疾患に対する無念の思いが伝わってくる。
これもひとつの善意、輪廻(生まれかわり metempsychosis)と解釈すべきなのかもしれないが、願わくば高度に進化した医学研究開発技術(iPS細胞ほか)による双方の救命治療が早く現実のものとして実証確立されることを望むばかりだ。

 (5)現在移植ネットワーク登録者(患者)は0~9才で40人、15才未満で84人を数えるが、この年令のレベル(15才未満)での臓器提供者は今回とあわせて2例にすぎない(報道)。

 子どもの命の尊厳を見極めて、人間的に命を奪うことの究極の選択判断の無常さ、むづかしさを示すもので、やはり高度、革新的医学研究開発技術力推進が全方位的な生命線だ。

 iPS細胞技術は、ようやくガン化抑制がみえて臨床実験が始まる。子どもの命は「天命」(childish life is providence)として、誰もが「運命」さえも奪うことなど出来ない科学、平和、人間、倫理の相互扶助、回復世界を実現しなければならない。
 それは幼くして外国政府に拉致されていまだに消息不明の被害者も含めてだ。

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