(1)ロンドン・オリンピックを7月下旬に控えて、各国代表選手もほぼ出揃って究極(ultimate)レベルの記録と勝負の4年に1回のアスリート(athlete)祭典に向けて最後の調整トレーニングが続いている。
陸上競技の花、男子100Mレースでは世界最速の9秒58の記録を持つジャマイカのウサイン・ボルト選手に米国からはアテネ五輪金メダルのジャスティン・ガトリン、世界歴代2位記録のタイソン・ゲイ選手と役者も揃って、究極、夢のレース展開、記録更新が大いに期待されるシチュエーション(situation)だ。
女性アスリート(woman athlete)の種目も拡大してほとんど男女同一共通種目化して、平等性を率先して実践している。女子サッカーでは直前の世界大会を制覇した日本女子代表の健闘も期待が持たれている。
(2)世界でも過去からのオリンピックゲームに女性アスリートを出場させていない国がイスラム教国(Islam)の3国(サウジアラビア、カタール、ブルネイ)だ。宗教信条主義から女性の社会進出を否定して、外出に際しては女性の肌の露出を隠し、覆う全身衣裳を身に着けることを義務付けている。
一部開放されて女性アスリートがスポーツ競技に出場するにしても、肌を覆う全身衣裳(ヘジャブ・スカーフ)を身に着けての競技になるために、運動活動能力に支障、制約、負荷を与えて競技としては成り立たずに、それは参加するだけのもの、実績優先の方針だ。
国内で女性の体育教育もない宗教信条主義を貫いてのその制約の中でスポーツ競技に参加することに意義を見い出す勇断は、しかし大きな意味もある。
(3)サウジアラビアは今回初めてロンドンオリンピックの馬術競技に女性アスリートの出場を決定した。他の2国についてもオリンピック参加に前向き(報道)だと言われている。
政治の世界ではイスラム教絶対主義、形而上主義による反覇権主義、反米精神を貫いているが、男女参画平等精神は情報化社会の進化、共有化で確実に無視できない状況になってきている。
イスラム教国圏では、反対闘争の「西洋文化の象徴」としてイランではネクタイ販売の禁止、女性インストラクターの世界標準の肌露出スポーツウエアースタイルの広告看板にも教育上の問題から西洋文化批判も強い。(報道)
(4)儒教思想で無宗教観社会の中で育った日本では、宗教絶対主義国家観というのはちょっと奇異に映ることがあるが、古くからの文明、文化の発祥、継続の中でそれなりの普遍的な精神性(sprituality)はあるのだろう。
精神文化というのは、絶対性、排他性の象徴として世界で起きている地域戦争、紛争、テロの主流となっており、文明、文化論の本質とは相容れない偏向性はある。世界各地には歴史、伝統、文明、文化、風習に根差した精神性はあり、近代化グローバル社会で融合して中心軸にスパイラル(spiral)する傾向の中で主義、立場を堅持する継続性には、ひとかたならぬものがある。
(5)宗教という精神文化の功罪は、地域戦争、紛争、テロ、カルトで問題化しているが、アラブの春から始まって社会変革の波に洗われる時代を迎えている。
より偏向化するのか、開放に向かうのか、今はイスラム教国家の肌を覆う全身衣裳の女性アスリートの奇抜さだけが象徴(symbol)だ。
陸上競技の花、男子100Mレースでは世界最速の9秒58の記録を持つジャマイカのウサイン・ボルト選手に米国からはアテネ五輪金メダルのジャスティン・ガトリン、世界歴代2位記録のタイソン・ゲイ選手と役者も揃って、究極、夢のレース展開、記録更新が大いに期待されるシチュエーション(situation)だ。
女性アスリート(woman athlete)の種目も拡大してほとんど男女同一共通種目化して、平等性を率先して実践している。女子サッカーでは直前の世界大会を制覇した日本女子代表の健闘も期待が持たれている。
(2)世界でも過去からのオリンピックゲームに女性アスリートを出場させていない国がイスラム教国(Islam)の3国(サウジアラビア、カタール、ブルネイ)だ。宗教信条主義から女性の社会進出を否定して、外出に際しては女性の肌の露出を隠し、覆う全身衣裳を身に着けることを義務付けている。
一部開放されて女性アスリートがスポーツ競技に出場するにしても、肌を覆う全身衣裳(ヘジャブ・スカーフ)を身に着けての競技になるために、運動活動能力に支障、制約、負荷を与えて競技としては成り立たずに、それは参加するだけのもの、実績優先の方針だ。
国内で女性の体育教育もない宗教信条主義を貫いてのその制約の中でスポーツ競技に参加することに意義を見い出す勇断は、しかし大きな意味もある。
(3)サウジアラビアは今回初めてロンドンオリンピックの馬術競技に女性アスリートの出場を決定した。他の2国についてもオリンピック参加に前向き(報道)だと言われている。
政治の世界ではイスラム教絶対主義、形而上主義による反覇権主義、反米精神を貫いているが、男女参画平等精神は情報化社会の進化、共有化で確実に無視できない状況になってきている。
イスラム教国圏では、反対闘争の「西洋文化の象徴」としてイランではネクタイ販売の禁止、女性インストラクターの世界標準の肌露出スポーツウエアースタイルの広告看板にも教育上の問題から西洋文化批判も強い。(報道)
(4)儒教思想で無宗教観社会の中で育った日本では、宗教絶対主義国家観というのはちょっと奇異に映ることがあるが、古くからの文明、文化の発祥、継続の中でそれなりの普遍的な精神性(sprituality)はあるのだろう。
精神文化というのは、絶対性、排他性の象徴として世界で起きている地域戦争、紛争、テロの主流となっており、文明、文化論の本質とは相容れない偏向性はある。世界各地には歴史、伝統、文明、文化、風習に根差した精神性はあり、近代化グローバル社会で融合して中心軸にスパイラル(spiral)する傾向の中で主義、立場を堅持する継続性には、ひとかたならぬものがある。
(5)宗教という精神文化の功罪は、地域戦争、紛争、テロ、カルトで問題化しているが、アラブの春から始まって社会変革の波に洗われる時代を迎えている。
より偏向化するのか、開放に向かうのか、今はイスラム教国家の肌を覆う全身衣裳の女性アスリートの奇抜さだけが象徴(symbol)だ。