いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

著作権のフェアユース。 fair use of copyright

2016-02-29 19:33:45 | 日記
 (1)著作権(その概念ではない copyright)というものはなかなかむずかしいものといつも思わされる。その人の能力、知力、資質から作り出されたもの(著作物、著作権)を原資として職業として利益をあげる資本形態だから、他の人が勝手にそれを使って利益を横取りされては生活権の侵害になる。

 かといって広く周知、利用、使用してもらわないと著作者の利益につながらないものだから、著作者自分自身の個人固有財産としてこだわりすぎると広く多くの人に利用、使用することの障害にもなるだけに、プラスマイナスが相反するところもあるのが著作権へのこだわり弊害だと常々思っていた。

 (2)もうひとつの側面として、元来の著作権物を作り出す優れた能力、知力、資質があればそれを模造したり悪用したりされても、その「格」の違いが歴然としてあるわけだから自信、確信があればこれほどまでに著作権保護主義でうろたえる必要もないほど、原作者、著作者の作品の高さ、評価はあるはずだとの認識も強い。

 たとえばノーベル賞授賞者の他に類のない高度な先端的技術力、仕組みを広く利用、活用して地球的、世界的、人類的、社会的、未来的に成長、発展のダイナミズム(dynamism)として貢献するために自らの発明、発見著作権を放棄するという科学者もいるのは、大いに納得できる心強い人類貢献の考え方だ。

 (3)どのように著作権物を利用、使用、活用しようがそれを人類史上はじめて発見、発明作り出した著作権物の偉大さ、優秀性、評価には変わりはなく、尊敬されることに変わりはない。

 芸術、文学、音楽、文化などでもそれぐらいの自信、確信、心の広さ、深さがあってもいいものだと思うが、今日的社会は組織的に著作権保護に熱心だ。著作権の侵害が生活権の侵害といっても、それを問題にする著作者の生活上のどこが問題なのかほとんどの場合高額所得者でよくわからない。
 著作権保護、侵害に問題があるのは、著作権物が比較「高額」で保護されているからではないのか。

 (4)米国では「著作物の『公正』な使用は著作権侵害にならず、著作権者の許諾なしに利用できる」(報道)フェアユース(fair use)規定がすでに実施されている。
 高度な情報化社会を支えるインターネット、タブレット文化の時代では、著作物を絶対的に個人所有の権利としてだけ捉える古い概念ではおさまらない、捉えられない空間的、時間的、領域的無限拡大の現実、今日的問題がある。

 (5)それなら「公正(目的、性格、性質など)」の概念を設けてその範囲内で自由に著作権を利用、使用、活用してもらおうという概念規定だ。
 もちろん「公正」の概念は普遍的概念であり具体的にはよくわからないものだけに、公正概念を尊重せずに問題、紛争が起これば裁判で解決することになる。解決方法は現状と何も変わらない。

 (6)米国で実施されているこの著作権のフェアユース制度、規定を政府、自民党が検討を始めている。
 著作権物の本来的意味、意義としては著作者個人の絶対的権利として他人に使用を認めないというものでなくて、ノーベル賞授賞者のように広く深く自由に世界、社会、人類への貢献に利用、使用、活用寄与してもらうことが人類共通の知的財産権としてふさわしいものだ。フェアユースの精神は理解できるものだ。 

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