いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
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軍事機騒音訴訟。 procedure of a noise of a military plane

2016-12-09 19:46:06 | 日記
 (1)厚木基地周辺の米軍機、自衛隊機の騒音問題訴訟(procedure of a noise of a military plane)で1審、2審が夜間、早朝の自衛隊機の飛行を禁じた判決を最高裁が破棄して、住民側の飛行差し止め、将来分の損害賠償請求を棄却した。

 自衛隊が夜間、早朝の飛行を自粛し周辺防音対策工事を施したことを判決理由にあげているが、同時に米軍機の飛行差し止めに対しては「国の行政処分が存在しない」(判決要旨)と司法管轄外として訴える利益がないとみられることから、同エリアでの自衛隊機の飛行禁止だけを差し止めることが公平性、公正性を欠くと判断したようにも思える。

 (2)周辺住民からすれば自衛隊機の飛行だけでも禁止されれば快適で健康的な生活権に緩和されるものだが、司法からすれば軍事機の飛行騒音には区別、区分がなく自衛隊機の飛行だけを差し止めておいて、司法が手を出せないとする米軍機の同飛行を見逃しておくことの不合理性(unreasonableness)を放置することになることの騒音共同責任の判断も考えられる。

 周辺住民からすれば、仮に自衛隊機の同エリア飛行が生活に影響する騒音として差し止めておいて米軍機の飛行騒音は放置するでは、何のための訴訟なのかいくら国の行政処分が及ばないからといっても公平性、公正性を著しく欠く司法判断をすることになるからだ。

 (3)国民の安全、生活、権利を守るために一部住民の生活、権利が犠牲になることの国の公共性、公益性優先の政策是非が問われるもので、沖縄米軍基地問題、原発問題にも共通する国の統治、政策、基本的人権にかかわるむずかしい選択課題であり、問題だ。

 国民の誰かが犠牲になって得られる幸福、生活、権利など居心地の悪いものはないが、国が公共性、公益性を重視してそういう政策を進めるならばその被害者、住民の訴えの立場を考える、救済するのは司法の役割である。

 (4)基地周辺の軍事機の飛行騒音は昼夜、早朝を問わずに周辺住民にしかわからない苦痛であり、国民として放置できない国民的課題であるから、司法としては今回の厚木基地騒音問題での自衛隊の夜間、早朝の飛行自粛、周辺騒音対策工事についての「我慢」の限界について、科学的知見で分析、検証して客観的な論証判断を示すべきだ。

 もちろんそれで住民の個々の事情、感知度にすべて応えることは飛行差し止め以外に無理だとしても、司法として周辺住民の訴えに寄り添うものであり、国、自衛隊が早朝、夜間の飛行自粛、周辺防音対策工事を実施したからやるべきことをやっただけでは、被害住民の訴えの拠り所となる司法としては役割を果たしているとは言い難い。

 (5)自衛隊機の飛行可能条件と、同様の米軍機の飛行可能条件を米国に要請する国の役割について働きかける司法判断があってもいいだろう。
 司法の守るべき優先(priority)は国民、被害住民の生活、権利であり、日米軍事同盟ではない。

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