いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

五輪プロ化の出直し論。 re-start theory of professionalism of olympics

2022-02-24 20:12:08 | 日記
 (1)北京冬季五輪の開閉会式で習近平国家主席の横にはIOCバッハ会長の姿があり、一種誇らしげでもあった。昨年の東京夏季五輪ではコロナ禍規制の中でJOCがバッハ会長参加の食事会を開催した時にはバッハ会長は特別待遇に「われわれはゲストだ」と言ったように、五輪は選ばれた都市主体の開催でIOCの仕事といえば開催国を決めて五輪を開催に無事つなげることだ。

 (2)後のことは開催都市が財政負担、運営を含めて中心となって実施するので、IOCは「ゲスト」であり出番はない。象徴的なのは20年東京五輪開催でコロナパンデミックの中で1年延期され昨年もコロナ感染拡大はおさまらずに、国内外から東京五輪開催見直しの議論が起きたが、IOCバッハ会長は後手後手の日本政府のコロナ対策を評価して安全な五輪開催が可能だとして、日本政府、東京都の無観客による五輪開催を積極的に主導した。

 (3)結果として昨年夏の東京五輪を境にして国内のコロナ感染は急拡大して政権交代にもつながった。五輪の開閉会式はセレモニーなのでIOCバッハ会長はIOCを代表して開催国の政治指導者と同席するのだろうが、五輪開催は開催都市主導からすればIOCの仕事は終わっている出過ぎた、場違いの姿だ。

 (4)IOCが出過ぎた存在というのも、近代五輪になってからのことだ。五輪は世界的なアマチュアスポーツの平和の祭典として参加することに意義があるとのテーゼでもあったが、世界最大のスポーツイベントとして商業主義が注目して介在して製品開発、宣伝、選手育成、トレーニングシステムなどに企業が資金援助、スポンサー活動が活発化して、TV時代の中でIOCは莫大な放映権料を得て五輪が商業主義の象徴として変化した。

 (5)商業主義の象徴として参加することから記録、勝利が優先されることになり、スポンサー活動もこの流れを助長してアスリートに特化して資金援助を高め、アスリートの「プロ化」(professionalism)が進み、IOCも記録、注目、関心を高めるためにプロ・アスリートの参加を認めて五輪の商業主義は確立されていった。

 (6)IOCは世界から五輪事業収益が集結する一大産業化して運営権力を握り、その頂点としてIOC会長は一大五輪産業を代表する大きな存在感を示すことになり、出過ぎた場違いの行動が顕在化している。

 (7)五輪の商業主義は開催都市の運営経費の膨大化を招き、名乗り出る開催都市の減少化につながり、東京夏季五輪、北京冬季五輪と五輪精神は政治、外交、経済、社会、競技の多方面で問題、課題、対策が多く指摘されて、一大転機を迎えている。

 より速く、より高く、より遠く、よりむずかしくは人類の願望のひとつではあるが、近代五輪のプロ化による偏向した弊害、出直し論は必要だ。

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする