いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

日本の傷。 crack of japan

2017-07-01 20:20:03 | 日記
 (1)東電の福島第一原発事故当時の元副所長(80)が退職後に山伏資格を取得して被災地東北で謝罪と鎮魂の行脚を続けている記事があった。
 東電はこれまで国の事実上の管理下で原発事故対応として支援機構から10兆円にも及ぶ膨大な支援を受けて、被災者、地域への損害賠償、除染等対応にあてている。

 国の原発政策に協力して安全対策も不十分のまま原発安全神話のもとに原発建設を進めてきて、福島第一原発事故が起きると結局は国からの国民投資(税負担)による補助支援に頼らないと賠償、復旧も出来ないという無責任企業体質の中で、同元副所長が甘い企業体質と決別して自戒の念にかられてのせめてもの被災地おわびの行脚だ。

 (2)東日本大震災復興にあたっては国の救済機関をまるごと東北被災地に移して、先頭に立って復興にあたる必要性を書いた。また原発事故当時の民主党菅首相は事故当時現地、現場が対応に追われている超多忙な中で、たびたびヘリなどで被災地現場に出向いて復旧に追われる現場にとってはかえって支障になるもので、やはり官邸で陣頭指揮をとるべきだとの批判、意見もあった。

 それならその熱意を首相退陣後に東北被災地にでも居住を移して東北被災地に寄り添って復興、復旧に協力するのかとも思っていたが、その後も自らは東京選挙区で活動して党執行部の方針に反して自らが支援する対立候補を支援するなど保身に走って当時の復興熱意はどこ吹く風だ。

 (3)冒頭の元東電福島第一原発副所長の謝罪と鎮魂の行脚は菅元首相とは違う自戒の行動であり、それはそれとして尊いものではあるが、原発事業者の東電企業体がその後の被災地賠償、福島第一原発事故影響復旧作業のまったく不十分な体制、対応を目の当たりにすると、とても行脚、鎮魂だけでは被災地、被災者は浮かばれない事態だ。

 優柔不断な原発事業者の東電と決別したからには、民間組織救済事業を立ち上げて被災地、被災者を側面から支援、応援する社会体制をつくりあげることも自らの責任、自戒を込めての生涯事業とすることも方法論(methodology)であった。

 (4)菅元首相がどれほどの人物なのかわからないが、菅元首相も取り込んでの当時の思い、熱意、自戒を共有する福島第一原発事故関係者による民間支援事業があれば、それはそれで意味と意義はあるものだった。

 東電元所長の山伏行脚としての謝罪と鎮魂の思いが通じてほしいとは願うが、それでは福島第一原発事故の責任は償いきれずにあまりに大きい日本の傷(crack of japan)だ。

 (5)東電の福島第一原発事故当時の旧経営陣3人の原発事故責任を問う強制起訴裁判が始まった。

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