二銭銅貨

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白痴/ドストエフスキー(木村浩訳)

2010-06-20 | 読書ノート
白痴/ドストエフスキー(木村浩訳)

新潮文庫

ディラックのδ関数というのは、高さd、幅1/dの関数におけるdを無限に飛ばした超関数で、様々なところで使われる便利な性質がある。電気の世界では、これはインパルス関数と呼ばれ、ある回路の入力にこれを入力し、その出力波形を見ることによって、その回路の電気特性が総て分かるという性質のものである。たとえば音楽ホールで、かしわ手をポンと打つと反響があるけれども、このかしわ手がインパルス関数に相当し、反響がインパルス・レスポンスとなる。この反響の周波数がそのホールの共振周波数、その減衰の早さがそのホールの音の吸収の良さを表すものとしてホールの特性が分かるのである。

無制限の良い人、つまり無制限に他人に対して役立とうとするような人物はこの世には存在しない超人間だけれども、そのような人間をこの世の中にほうり込んだらどうなるであろうか?その時のその周りの人々のリアクションはまさにインパルス・レスポンスに相当しており、それを観測することによってそれらの人々や、その社会の特性を総て分析できるかも知れない。

一般には、社会での人と人のやりとりはδ関数のような極端な信号ではなく、適度に抑制されたモダレートな信号である。入力も出力もそのような抑制された信号なので、各人個々の特性はあまり表に出ないし、またそうであるからこそ社会は無事に機能して運営されている。しかしながら、そのままで各個人の特性を分析するのは非常に難しい。それを解決する手段の1つが、そのような実験で、もちろんドストエフスキーがそんな事を意図していたかどうかは分からないけれども、そのような実験を行ったのがこの小説ではないかと思った。

ドストエフスキーはムイシュキン公爵を完全な善人として描こうとしたらしいけれども、読んだ印象では、彼よりもその周囲の人物達が良く描かれていたのでそう思ったのである。

10.06.12
コメント
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