アンドレア・シェニエ/新国立劇場10-11
作曲:ジョルダーノ、演出:フィリップ・アルロー
指揮:フレデリック・シャスラン、演奏:東京フィル
出演:シェニエ:ミハイル・アガフォノフ
マッダレーナ:ノルマ・ファンティーニ
ジェラール:アルベルト・ガザーレ
全部白。白で統一されて、白の純潔に、三色旗がひときわ輝いて、この壮絶な争いごとの色合いを表す。
演出は恋愛劇の部分よりも、より政治的歴史的なフランス革命の気分を色濃く映し出していたように思う。民衆の狂気と動揺、惨劇と残虐、リーダー達の冷酷、苦悩。奔流の強さ。本来、こうした革命の悲劇は純潔の白とは真反対の色合いだと思うけれども、それを真っ白な色で表現していた。
シェニエとマッダレーナが二重唱を歌う最後の方の場面では、斜めに割れた壁の隙間から覗く別の壁の端が柱のように見えて、これがあたかも内部から光を放つ大理石のような印象。美しかった。
全体に直線的な美術で総てが斜め80度か70度位に傾いていた。真っ直ぐでない時代の殺伐を、こうした傾いた形で表現したのではないだろうか。
主役の3人はパワーが強く、声が天井まで高々と届いていた。革命のエネルギーの高さが良く分かる。日本人の出演者たちも負けずに声量豊かであったけれども、ある程度まとまった歌があるのは竹本節子のマデロン役だった。演奏も強く厳しく、革命の打撃の強烈さを良く表現していた。
舞台の最後は、主役二人に引き続いて次々と倒れる民衆。そしてその向こう、舞台の奥に少年少女たちがフランス国旗を打ち立てている。こうした多くの惨劇の犠牲の上に、今の繁栄が築かれているという、これはそう言う意味なのだろう。こうした革命的なものや戦争などの惨劇の繰り返しは歴史的必然でもあって、避けては通れない。その犠牲者を痛む気持ちが、この舞台の光輝く白なのかも知れない。
ストーリや構成、登場人物にトスカとの類似性が感じられるが、この作品はトスカに数年先行したもの。台本作家のルイージ・イッリカはトスカの台本製作のメンバーの1人。
10.11.21 新国立劇場
作曲:ジョルダーノ、演出:フィリップ・アルロー
指揮:フレデリック・シャスラン、演奏:東京フィル
出演:シェニエ:ミハイル・アガフォノフ
マッダレーナ:ノルマ・ファンティーニ
ジェラール:アルベルト・ガザーレ
全部白。白で統一されて、白の純潔に、三色旗がひときわ輝いて、この壮絶な争いごとの色合いを表す。
演出は恋愛劇の部分よりも、より政治的歴史的なフランス革命の気分を色濃く映し出していたように思う。民衆の狂気と動揺、惨劇と残虐、リーダー達の冷酷、苦悩。奔流の強さ。本来、こうした革命の悲劇は純潔の白とは真反対の色合いだと思うけれども、それを真っ白な色で表現していた。
シェニエとマッダレーナが二重唱を歌う最後の方の場面では、斜めに割れた壁の隙間から覗く別の壁の端が柱のように見えて、これがあたかも内部から光を放つ大理石のような印象。美しかった。
全体に直線的な美術で総てが斜め80度か70度位に傾いていた。真っ直ぐでない時代の殺伐を、こうした傾いた形で表現したのではないだろうか。
主役の3人はパワーが強く、声が天井まで高々と届いていた。革命のエネルギーの高さが良く分かる。日本人の出演者たちも負けずに声量豊かであったけれども、ある程度まとまった歌があるのは竹本節子のマデロン役だった。演奏も強く厳しく、革命の打撃の強烈さを良く表現していた。
舞台の最後は、主役二人に引き続いて次々と倒れる民衆。そしてその向こう、舞台の奥に少年少女たちがフランス国旗を打ち立てている。こうした多くの惨劇の犠牲の上に、今の繁栄が築かれているという、これはそう言う意味なのだろう。こうした革命的なものや戦争などの惨劇の繰り返しは歴史的必然でもあって、避けては通れない。その犠牲者を痛む気持ちが、この舞台の光輝く白なのかも知れない。
ストーリや構成、登場人物にトスカとの類似性が感じられるが、この作品はトスカに数年先行したもの。台本作家のルイージ・イッリカはトスカの台本製作のメンバーの1人。
10.11.21 新国立劇場