愛菜ちゃんは、
本当に「泣き」の演技が、上手いねぇ~。
最終話の後半は、三上博史と芦田愛菜が、
役者として、対等に演技を戦わせた。
大人と子供じゃなくて、男と女だった。
安達祐実が、
一度目に、「(自分の子とは)違います。」と言った時、
ポストは一瞬、微笑み、
二度目の、「違います。」では、
絶望的な悲しみで、「ママ!!」と叫んだ。
一度目は、事故死した「アイ」の代わりから解放され、
二度目は、「ポスト」としてでは、愛してもらえないのかという、
感情の推移が、見て取れた。
演出されたとはいえ、
あのように、表情を変化させる事ができる愛菜ちゃんは、
恐ろしいと思った。
彼女の意識レベルは、
もはや、「上手く演じよう」ではなく、
「どう演じよう」の領域に入っているのであろう。
「俺が淋しいんだ!…俺の娘だ!」と、
告白する魔王が、ポストと土手で抱き合うシーンは、
ロケーションといい、アングルといい、大変美しかったが、
ここでも、親子というよりは、男女である。
三上博史は、脚をくずして、
小さい体を抱きしめていたが、
私には、ラブシーンに見えた。
魔王は、元妻とヨリを戻していたら、
ポストを養女にしていただろうか。
魔王は、失った妻の代わりに、
ポストを、単なる子供ではなく、
かけがえのない人として、迎えたのではないか。
その後の、シーパラダイスで遊ぶ様子も、
普通のデートに見える。
ポストの本名は、「キララ」だったのね。
そうきたか、と思わせるラストだった。
「琴子」はどう演る?
映画「円卓」では、愛菜ちゃんが「こっこ」を、
どのように演じてくれるか、楽しみである。
「ポスト」より「こっこ」の方が、愛菜ちゃんぽい。
「ご尊顔を踏んでくれはるのん。」
「もーっとやでー。」
「さーらーにーやでー。」
「なーおーさーらーやでー。」
と言われ、
鼠人間の面を、踏むのだろうか。
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