諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

数時間後に亡くなる人。そして片目の真鮒。【水の森公園にて】 その4

2014年06月27日 04時11分12秒 | 霊体・恐怖

続けます。

ここで一つ告白をしたいと思います。私が三共堤で最後に釣りをしたときの話です。

当時、私は小学6年生。11月頃だと思います。季節的に釣れる時期は過ぎています。

その日は霧雨が降っていました。それでも釣りキチだった私は新聞配達を終えてから自転車を走らせ、自転車で行くのであれば自宅から結構距離がある三共堤まで釣行したんです。

水神の碑がある現在のキャンプ場側から入ってワンドを登り、水死体が流れ付く水門から数十メートル離れた場所で竿掛け・元受けをセット。釣りを開始しました。

釣り人は私一人。霧雨ですから視界も悪かったです。それでもよく釣れてました。片目の真鮒を含めてです。浮子の動きが激しく簡単に釣れたのよくを覚えてます。

そして浮子から目を離し何気なく対岸を見ました。三共堤は大きな沼なので対岸までは多分、200メートル近くありますが、その対岸付近の水面に肩より長い黒髪で白いネグリジェ??を着た女性が浮かんでいる姿を見ました。一瞬です。すぐ消えました。

私は錯覚だとは思いました。霧雨でしたし靄もかかっていた。多分、錯覚。錯覚の筈です。錯覚の筈なんですが、一瞬で恐怖にとり憑かれまして竿をさっさと畳み急いで逃げ帰りました。

以前、「幽霊との対峙」と題して某神社のの参道で、男の幽霊と2メートルもない距離で睨み合った話をしました。丑三つ時です。その時見た角刈りの男は間違いなく幽霊でした。

三共堤での女の幽霊は200メートル近く離れています。当時の私の視力は1.2位はあった筈ですが、「錯覚だろ」と言われれば「錯覚だった」となります。それだけあやふやな記憶です。しかし、恐怖は尋常でなかった。何たってそれ以来、三共堤には釣りに行ってないのですから。

あの時の女性の幽霊が仮に本当だったとします。ここは心霊スポットです。日本兵の姿をした幽霊の目撃談も寄せられています。もし本当に本当の幽霊だとしたらコレラで亡くなり、この地で焼却された方の様に思います。

そしてコレラは感染症です。私は鬼渡神に因縁を感じていますが、鬼渡神は疱瘡神であり水神です。そして疱瘡も感染症。つまりコレラもまた疱瘡と言えます。

これも愕然とした話なのですが、コレラ患者も含み疱瘡にかかり片目になる人が多いのです。そう言えば伊達政宗も天然痘で片目になっている。だから三共堤では片目の真鮒が釣れる・・・・・・なんて事は無いでしょうが、どうなんでしょ。

片目の鮒の伝説は日本中にあります。「戦で片目を負傷した武将がその沼でめを洗ったら、その沼の鮒は片目になった」と言う旨の伝説が多いです。

現に水の森公園のすぐ手前には小さな瀧があり、不動明王が祀られています。不動明王は目を直してくれる仏。そして不動明王の多くは瀧に祀られている。つまり水神。これは何か関わりがあるかも知れないです。

水の森公園には、コレラで亡くなった方たちの叢塚の碑と水神の碑が建立されています。

疱瘡(コレラ)と水神。「何か関連があるのか」と思い調べました。結果、水神は疱瘡から身を守ってくれる神との事です。

これは何を意味するのか。疱瘡神と水神は敵対しているのではありません。水神が疱瘡神なのです。

疱瘡神は渡り鳥の様に渡り歩き、桜が散る如く疱瘡を撒き散らすと言われます。その疱瘡(ここではコレラですが)を撒き散らして貰わない様に、疱瘡神である水神を祀っている様に私は思いました。三共堤・丸田沢堤には桜の木もありますし、渡り鳥が飛来しますしね。

ここでふと思ったのですが、遺体を不謹慎な言い方で「マルタ」と言いますよね。確か731部隊では「マルタ」と呼んでいた。それが発祥だと思います。

以前、老人向けの雑誌で戦争特集の企画記事を書いた事があるのですが、老人会から戦争に詳しい方を紹介され取材ました。会うまで知らなかったのですが、731部隊の人でした。

彼は「731部隊は悪魔のように言われているが、731部隊の研究資料が有ったからこそ多くの戦犯が命を長らえた。731部隊のおかげで、日本政府は大幅に助かったのだ」と語っていました。731部隊はヒーローだった様に。

そう言う時代だったから遺体を、或いは実験体とされる人たちを「マルタ」と読んだのかも知れません。人を殺す時代の人間は悪魔と変わらなくなってしまうのでしょうから・・・・・。悲しい時代だった。だから人も変わってしまったのだと思いました。

そして水色のジャンバーのヘラ師が釣りをしていた沼は丸田沢堤。これ偶然でしょうか。明治の時代に「マルタ」と言う呼び方が有ったのかは知りませんが、焼却された遺体と丸田沢。何か関連がありそうです。

仮にですよ。仮にコレラで亡くなった276名のお骨が水の森公園のどこかに埋められているとしたら、丸田沢堤付近が考えられるのではと思った瞬間、厭な考えが浮かびました。
「水神は疱瘡を抑える」と言います。だったら276名のお骨が埋められた場所には水神が祀られているのでは。

いやいや、水神の碑は造成された水の森公園キャンプ場に隣接してます。それならキャンプ場が整備された時にお骨が出てきてもおかしくは無いです。それは無いかなぁー。

うーん、分からないです。ただ一つだけ分かったことが有ります。それは「水神が祀られている場所では釣りはするな」と言う事です。

当然、私も三共堤・丸田沢堤での釣りは諦めました。フローターでの釣り用具を一式揃えましたが、一度も使わず押入れの中に仕舞い込んだままです。

それでいいと思います。水神が祀られている場所は霊場です。霊場で釣りなんかするべきではないです。これは私としては奇しく確信を持って言えます。断言します。

そして最後に、亡くなられた水色のジャンバーのヘラ師さんのご冥福をお祈りします。もしかして私が何かを話しかければ命をながられたかも知れませんが、あの時の私にはそんな余裕はありませんでした。

助けてあげられず申し訳ございませんでした。


ではでは。








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数時間後に亡くなる人。そして片目の真鮒。【水の森公園にて】 その3

2014年06月26日 06時12分43秒 | 霊体・恐怖
続きます。

眷属についてですが、正直まだ考えが練上がっていません。眷属について語っている人も少ないようですが、直接、人に関わってくる存在の筈です。

私は神が人間に宿ることは無いと考えておりますが、眷属は宿ると考えます。その理由については何れまたお題を改めて書きたいと思っております。

さて、私のブログを読んでいる奇特な皆さんは「叢塚(クサムラヅカ)」をご存知でしょうか。実は私も名前は知っていましたが、何と飢饉等によって大多数の人が亡くなられた場合の供養碑でした。

飢饉といえば天保の大飢饉が有名です。当時の仙台藩では30万人の餓死者を出しています。

「仙台62万石」なんて言われていますが、本当に62万石だったら徳川家に警戒なんかされません。実際は仙台から石巻までの貞山堀が完成してからは、実質250万石ありました。

徳川幕府が260万石ですから、ほぼ互角の石高です。だから警戒されていたんですが、この飢饉の時は100万石しか取れなかった。だからは米どころ故、30万人の餓死者を出したんです。凄い悲劇ですわ。

現在の仙台市の人口は105万人前後ですが、そのうち30万人が餓死したとなると想像を絶します。3.11の東日本大震災で亡くなった方たちの数でさえ愕然としているのです。多分、当時の人口は現在より少いはずですから、その深刻さは津波以上だったでしょう。しかも餓死です。空腹に苦しんで死ぬのです。仙台には餓死した方々の念は根強く残っていると思いますね。

「叢塚」で検索すると仙台の叢塚がトップでヒットするんですが、それだけ仙台には被害者は多かったと言う事だと思います。

そしてこの水の森公園にも叢塚が存在します。その叢塚は明治15年当時、コレラで亡くなった人達の供養を目的としたものです。

明治13年にもコレラ蔓延し、全国で16万人以上が発病。うち10万人以上が亡くなっていますが、明治15年時の仙台でのコレラ患者は920名。うち410名が亡くなっているそうです。

仙台には水の森公園以外にもコレラで亡くなった方たちの鎮魂として叢塚が存在しますが、その場所は元々コレラ患者を隔離していた施設があった場所です。コレラ騒ぎが収まった後、その施設は焼却されています。コレラ菌の蔓延を防ぐ為にです。

水の森公園の叢塚に近い台原にもコレラ患者の隔離施設があり、その施設で亡くなった方たちの遺体を焼却した場所が、水の森公園の叢塚の場所だった様です。

これは未確認の話ですが、仙台のコレラ患者の数はそんなものではなかったとも聞いています。そして焼却せず遺体をそのまま埋めたとの話もあります。手が回らずです。中にはまだ生きている患者も生き埋めにしたとの話もあります。そしてその埋めた場所は水の森公園周辺とのことです。

この話は多分、焼却場があった事から尾ひれが付いて語られたデマだとは思いますが、もし本当だったらどうでしょう。

仙台藩は一万数千人の犯罪人を処刑しています。勿論、犯罪は罰するべきですが、1万人以上の処刑は異常です。今では考えられない程の軽い罪でも処刑してきたと思います。その仙台藩の流れから、明治の時代も十分ありえる話だとと勘ぐっちいますね。

まっ、それは兎も角、水の森で焼却された276名のお骨はどこに行ったのでしょう。その点についてはどこにも記載されてないです。

これは私の想像ですが、隔離施設も焼却場もコレラ菌の蔓延を恐れ焼却されたのです。そうなるとお骨はそれぞれの家のお墓に埋葬されず、水の森公園のどこかにまとめて埋められた可能性は高いと思います。

先に述べた1万人を越す処刑者の骸もどこに行ったのか不明です。そして「警察官と錦町公園の幽霊」でも書きましたが、錦町公園は元々は墓地です。ちょっと掘り返さば墓石とお骨がザクザク出てきます。仙台とはそう言う街です。十分考えられると思います。


つづく。






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数時間後に亡くなる人。そして片目の真鮒。【水の森公園にて】 その2

2014年06月25日 00時31分35秒 | 霊体・恐怖
さて、丸田沢堤に行きました。時間は午前10時半頃。12時から店を開けるので時間はタップリあります。着いてみるとちょっとした駐車スペースがあって中々いい感じです。

実は私、三共堤には子供の頃に何度も通っていたのですが、隣の丸田沢堤では釣りをしたことは一度もありません。何故か行く気に成らなかったんです。

ネットで調べてみて、どちらでもフローターでバス釣りしている方がいるから釣れるのでしょうが、一見、三共堤よりは暗さが無いと言うか、重々しい感じがしません。鴨やあひる、ダチョウもいますので、何かいい感じと思いましたね。

見渡すとヘラブナ釣りをしている方が2人います。「どれ、ちょっくら釣れているか見てくっかな」と水際まで降り、水門に近づいたらジィーンと言うか、変な感じがしました。空気が淀んでいるというのでしょうか、空気が重いというのか、兎に角変な感じです。

「何か変だな、何か変だな」と思いながら水色の軽い感じのジャンバーを着ているヘラ師の所に寄ろうとしたのですが、急に私の肌が泡立ってきました。ビリビリきてます。細胞が行くのを拒否している感じです。

「こっ、これは不味い、絶対不味い」と私の体が警告している感じです。私は「これ以上ここに居るべきではない」と思いました。

こういう時の私の直感は絶対です。だからこそ私は何時も単独で行動しているのかも知れません。人には良薬でも私には劇薬の人生を歩んでいます。人に合わせていたら、私は生きられません。そう言う因果なのです。

「これは絶対帰るべきだ」と確信し、私は水色のジャンバーのヘラ師に背を向け、一目散に帰りました。

そしてその日の午後7時。ながら仕事をしなから7時のニュースを見ました。地元のニュースです。私はビックリしました。午前中に立ち寄った丸田沢堤の風景が流がされていたので・・・・。

ニュースでは釣り人が沼に落ち、行方不明であるとしてます。夫婦で釣りに来ていて、旦那の方が沼に落ちたのです。50代の方です。竿を流され、取ろうとして落ちた。這い上がれなくなったとの事です。

私の見た水色のジャンバーのヘラ師は、間違いなく男性でした。ちょっと離れた場所で薄紫色のジャバーを着たヘラ師がいたのも確認してますが、その方は奥さんだったと思います。

つまり水色のジャンバーの男性が落ちたと言う事。私は愕然としました。危なかったんだなぁーと思いました。

次の日の早朝、丸田沢堤の水門が開けられ沼の水量を落とし、行方不明の男性は見つかりました。何と釣台からたった5メートル沖でです。勿論、遺体で。

たった5メートルと思うでしょうが、沼に嵌ったら這い上がれないものなのです。50歳代でしたから、まだまだ体力はあったはずですが、体力がどうこう言う問題じゃないんです。何かに引きずり込まれる感じなんです。

私も近所の与平衞沼と言う沼で釣りをしてて、私の体重で釣台の足が抜け堤防から沼に滑り落ちた事があったんです。苔ですべるからはいあがれませんでした。引きずり込まれる感じでした。

隣で釣りをしていた弟と近辺の釣り師に引き上げられ私は助かりましたが、一人で釣行してたらアウトだったかも知れません。それだけ沼は危険なんです。

そして思いました。もし私が水色のジャンバーのヘラ師の後ろで彼を見ていたとしたら、彼が受けた因果が私に移っていたかも知れないと。

因果を受けやすい私は弱い人間です。かなりの弱さです。水色のジャンバーのヘラ師を引きずり込んだ魔物が、弱い私に目をつける筈。こっちが楽だと思う筈。そして憑依する筈だと思いました。

亡くなったヘラ師には大変大変申し訳ありませんが、私、引き返して良かったです。こんな事を言う私は大変罪深い男ですが、本当によかったと思いました。本当に申し訳ないですが・・・・。

そして思いました。あの時、私を引き返させたものは私に宿る眷属ではないかと。

弱い私に眷属が宿っているから、なんとが生きていられるのだと・・・・・。




つづく。




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数時間後に亡くなる人。そして片目の真鮒。【水の森公園にて】 その1

2014年06月24日 04時34分52秒 | 霊体・恐怖
これは今から10年以上前の話です。

私は秘密の商売をしてます。当時は年に7日程度しか休まずにギリギリ状態でやってました。

私にとって秘密の商売は遊びのようなもんです。儲からなくても楽しいからやっていたんです。でもね、そろそろ「釣りをしたいな」と思ってました。子供の頃は釣りキチでしたしね。

そうは言っても仕事は休めない。休みたくない。だから短時間でしか釣りはできない。どうしたらよいか。

一番好きなヘラ鮒釣りは釣台の設置と後片付けに時間がかかる。かと言ってバス釣りは「おかっぱり(陸地からキャスティングする釣り)」では中々釣れない。海は遠い。渓流も遠い。でも釣りがしたい。

そこで思いついたのがフローターでのバス釣りです。

フローターというのは釣りがをしやすくした浮き輪のことです。それにウェーダー(胸まである長靴)とフローティングベスト(救命道具)を付け、フィン(足ひれ)を履いて水に入り、釣りをする訳です。

水にプカプカ浮かんで釣りをするのって中々風流でしょ。何か「気持ちいいだろうなぁー」と憧れちゃいました。

そして得意のヤフオクで「アキレス・ゲンゴロー」と言うフローターほ購入。どこで釣ろうかと仕事前に近辺の沼を探索してたんです。

やっぱり沼に浮く訳ですから、汚い沼は嫌です。そうなると私の家からそう遠くない「三共堤」と「丸田沢堤」は有力です。大きい沼ですし、比較的綺麗だし。

この二つの堤はどちらも水神の碑が建つ「水の森公園」内にあります。この水の森公園、大した金をかけて整備したのですが、「どこにそれだけ金をかけたんだ」と言いたくなるような公園です。何もしない方が自然を満喫できて良いと思えのですか、以前は大変怖かったです。仙台名物・心霊スポットでもありましたしね。

実は子供の頃から「三共堤」には通っていました。真鮒釣りに。大変よく釣れるのですが、釣った真鮒の2~3割程度が片目なんです。目が抉れての片目ではなく、盛り上がっての片目です。元々目が無かったように固く盛り上がっています。何故なんでしょ。

病気だったら目が爛れたりしていると思うのですが、目があった形跡がないんです。訳がわかりません。

それに「三共提」には水門がありまして、今までかなりの方が「三共提」で亡くなり遺体が水門に引っかかっていたと言う話も聞いていますし、自殺者も多いんです。それに何より深いし・・・。

それで、ちょっとフローターで浮くのは危ないし怖い。「こりゃ駄目だ、丸田沢提にしよう」と思いました。

「君子危うきに近づかず」が一番。特に私の様に因果な家系に生きる者は、危険から避けて避けて避けまくるのが生きていく秘訣ですからね。


つづく。








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家の守り神だった蛇。そして祟り。

2014年04月26日 21時54分34秒 | 霊体・恐怖

前回に続きまして今回も蛇についての話です。この話は私の母親から聞いたものです。

っとは言っても、私の母が実際に体験した話ではありません。私の母親が産まれる前、母の姉達の身に起きたものです。もうかれこれ74年以上も昔の話となります。

故に詳細は流石に多少違っている可能性は十分にあります。其処の所、ご了承いただきお読みいただければ幸いです。

さて、その前に母の家族環境を説明します。母は両親が40歳を越えて産まれました。

兄弟は男5人、女5人。母は合計10人兄弟の末っ子です。一番上の長兄とは20歳以上歳が離れています。

実家は福島県いわき市上好間田代。古河炭鉱か近くにあった山の中です。梨をメインとした果樹園を営んでました。

事件は母の兄弟の長姉と次姉の身に起きます。長姉・次姉が家に居た所、二匹の大蛇を発見。二匹ともデカい青大将だったみたいです。

二匹の青大将は天井の横の柱??に二匹重なる様に居ました。母の長姉・次姉は「家族に噛みつきでもしたら大変だ」と思い、箒で下に叩き落とし、二匹の青大将をその箒で滅多打ちにしたのです。

ヘロヘロの死にかけになった二匹の青大将は塵取りに入れられ、使わなくなった井戸に落としました。

そしてその日の夜、長姉・次姉2人共に首筋に蕁麻疹が発生。頗る付きの痒みで眠ることもままならない状態だったそうです。

翌日の朝には首筋の蕁麻疹は掻いたことで鱗の模様になってました。イボイボではなくどう見ても鱗。魚の鱗より滑らかな感じの鱗。そう蛇の鱗です。2人共にです。

2人の姉は怖くなり両親に話しました。家に居た二匹の青大将を痛めつけ、使わなくなった井戸に落とした事を。

そして次の日になっても鱗は消えず、ますますハッキリと鮮やかに浮かんできたそうです。しかも首筋から喉、そして胸の上にまで広がっています。家族は大変恐怖を覚えたそうです。

こうなると流石に蛇の祟りに間違いないと確信。氏神の神社で祈祷をしてもらうことにしました。

神主の言う事には、「その二匹の青大将は間違いなくお前達の家の守り神である。それをお前達は叩き殺したのだから祟りを受けているのだ。祈祷をしたから鱗の痣は直ちに引くであろう。今後、こんな罰当たりな事は絶対するんじゃないぞ。判ったか」と、こっ酷く説教を受けたそうです。

蛇の鱗の痣は神主の言う通り、祈祷の後数時間後には綺麗に跡形も無く消えていたそうです。

元々は家の守り神です。家族兄弟に何の恨みも無い。守護していた存在です。だから祈祷で祀り上げた事により、許してもらえたのだと思います。他の家の巳様では、こう簡単には行かなかったと思います。

それにしてもその祈祷をした氏神の神主の力は凄いです。これでこそ神主だと思います。

これは何れ話そうと思うのですが、私の父親も幼少の頃食べ物がなく、家の近所で異常発生していた蛇(シマヘビ)を食べ過ぎて蛇に祟られた事があります。

やはり氏神の神社の神主に祈祷してもらい祟りが消えたそうです。昔の神主、特に福島県の神主は皆、祈祷力があったみたいです。

この話を友人の禰宜に話したら凄く驚嘆してました。今の宮城県には多分、これほどの祈祷力を持っている神主はいないのではないでしょうか。

今の神主はぶっちゃけ誰でも簡単になれるし、「この人が神主していていいの?」と思える威張るだけの神職の方も大勢います。本来の神主は祈祷の力がある正しい人がやるべきだと思います。

さて、蛇は何故家の守り神とされるのか。それは山で蛇を見た事のある人なら何となく判ると思います。

蛇はあれで案外気の弱い動物です(シマヘビ・ハブは除く)。人に見つかればすぐさま逃げます。争いを好まない。自分の巣穴に逃げ込む。巣穴に逃げ込めばホッと安堵する蛇の気持ちが伝わってくる。故に「蛇=家」の構図が浮かぶ。それが「屋敷神=蛇」とのイメージに繋がったのだと思います。

そうは言っても家に居る蛇は確かに神霊です。蛇だけでなく家に出る蜘蛛なんかも福を運んでくれると言われてます。

ヤモリだって屋守(守宮)と書きますし、イモリも漢字で井守です。気持ちが悪いかも知れませんが、家屋敷の守り神(眷属)だったり、井戸の守り神(眷属)だったりするのです。全ては敷地の守り神。若しくはその使いだと思います。

故に家や敷地に出る生物は、出来るだけそのままにしておくに限ります。

祟りは本当に起こります。祟りだらけの人生を歩んでいる私が言うのだから間違い有りません(キッパリ)。

くれぐれも笑い話、ホラー話で終わらせないで(ホラじゃないよ)、家に出る生物を感謝の心で迎える位の心構えが必要だと思います(ゴキブリ・蝿・蚊は場合は分かりませんど・・・・・・・)。

勿論、私みたいに蛇を食べるなんて言語道断です。くれぐれもお気を付け下さい。


ではでは。

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