ノイバラ山荘

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由幾先生の緋桃

2011-02-08 13:52:29 | 短歌
長くわが結社の主宰でいらした由幾先生が2日になくなられ、
4日、5日とご葬儀が行われました。

賢く美しく、毅然としていらして、
女性のお手本となるべき方でした。
先生なくしては110年余りの結社の火は
続かなかったのです。

入会させていただいてから10年近く、
作品の添削をしていただきました。

当時、神奈川の山奥に住んでいたのと家庭の事情から、
都心で行われる勉強会に参加できなかったので、
入会のご紹介して下さったS藤さんが
由幾先生にお話して下さったのです。

毎月、どんなに待ち遠しかったことか!
必ず添えられていた短いお手紙も楽しみで、
よい歌には○をつけてくださり、
てにをはを直され、1行の歌評が添えられています。
拙ない歌でも全体的に作りなおされるということはなかったです。

当時、返信用の、宛名を書いた封筒を同封するという知恵がなくて、
お忙しい先生に私の宛名をずっと書かせていたのですが、
ずっと八王子市を八王寺市と書かれていて、
何故だろう??と不思議に思っていたのですが、
先生が書かれるとステキで、自分が八王子よりも八王寺に
住んでいるような気になったものです。

美しい字のお手紙を毎月いただくという至福。
あたりまえのようにいただいていたのですが、
今から思えば奇跡のようなことです。

ご高齢でカルチャー教室を教えられることからも退いていらしたので、
多分、私が弟子の最後尾なのだと思います。
取り巻きを嫌われて、旅先での鞄なども
「わたくしが持ちます」と他人に触らせなかった先生ですが、
やはり垣根のように先生を慕う方々が取り巻いていらして、
パーティで先生に御挨拶しただけで、
「この方どなた?」と怪訝そうに見られたことでした。

まさかそれから校正のお手伝いをさせていただいたり、
全国大会の係になったりするとは、
思ってもみなかったことです。

志が低くて全く申し訳ないことなのですが、
短歌を作ることが好きで、魅力的な先生ご一家に
ただただついてまいりますという思いだけで
10数年たってしまいました。

    ***

茫然としていますが、
頼んであった古書や歌集が届くので、
ぼつぼつ読んでいます。
「お勉強なさいませ」とは由幾先生の口癖でありました。

長くお庭にあって先生が毎年お歌に詠まれていた緋桃の木は
杖をつくほどの老木でありましたが、
数年前に伐られて今はもうありません。

・溜めてゐし思ひ一気に吐き出せる緋桃の花は夕かげのなか

                     佐佐木由幾『一茎の草』