ノイバラ山荘

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万葉講座の終わり、小さな歌会

2013-09-07 22:47:37 | 短歌
こんばんは(*^_^*)

夜が涼しくなりましたね。
よく眠れるようになってうれしいです。

38年間続いた万葉集のご講義、
20巻すべての歌が終わりました。

月に一回ずつの積み重ねです。

先生、お疲れさまです。
私たちは用事があれば休めますけれど、
先生は1日もお休みすることができません。

創成期よりお世話をしてくださった
結社の先輩が90歳を越える
ご高齢であるにもかかわらず、
車椅子でご参加くださいました。

ここしばらくはお姿をみることがなく、
本当にお久しぶりです。

酸素吸入なさりながらの参加、
昨夜は興奮して眠れなかったとのこと。

先輩たちがお世話して下さったからこそ、
私たちが勉強することができたのです。

地味で地道な仕事をひきうけて、
根気強く続けていく・・本当に尊いことです。

最後の最後の「いやしけ吉事」の歌を
ご一緒することができました。

私は巻12の終わりの部分からの参加です。
まだ人数が少ない時代で、
諸先輩に菓子折りをもってご挨拶をして
末席に入れていただきました。

途中で居眠りをするような
不詳の弟子ですけれど、
休んだことは数えるほどです。

語彙を始めてから、
古典が少し読めるようになり、
面白さもわかってきたところで・・。

でも、また巻1から再開して
くださるそうですので、楽しみです。

     *

午後はアメリカから全国大会のために
帰国されているA木さんを囲む歌会です。

1年に1度のこの10人余りの小さな歌会、
いつからお誘いいただいたのか忘れましたが、
ずいぶん続いているような気がします。

お食事をいただきながら、
事前に作った歌を1首1首批評していきます。

こんなふうに、遠くからの客人と
歌を間において話すことができるとは、
なんと幸せなことでしょう。

ここで歌はなごやかな
コミュニケーションのための
道具の一つです。

思えば万葉集の時代も
酒宴で客人をもてなし、
主人をほめる歌を作りました。

地方によって言葉が違った時代、
歌が共通の言語であったのです。

雅語というのは詩歌のための言葉ですが、
共通語という役目も担っていました。

歌を勉強すれば、歌で
コミュニケーションができたのです。

現代では短歌は特殊な言葉に
なってしまいましたが、
千数百年のつながりの尻尾に
いられる幸せを思います。