ノイバラ山荘

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利玄の桜

2016-04-04 21:43:03 | 短歌

みなさま、こんばんは(*^_^*)


ノイバラ山荘へようこそ❤


予報では暖かくなるはずでしたが、


曇ってあまり暖かくはならなかったです。


空き地のすみっこに咲いてるたんぽぽ。


地鎮祭もすんだこの土地の建築が始まってしまえば、
踏まれて枯れてしまうでしょう。
綿毛を飛ばすまで無事でありますように。


買い物の途中で見上げた桜。


今年はもうお花見にいくことはないのかなぁ。
何だか賑やかなところに行きたくない気分です。


静かに静かにみっしりとひらく花を、
そして散る花を眺めていたい。


結社誌をたどっていたら、
大正3年の勉強会の記録で
木下利玄の桜の歌を見つけました。

・方々に桜が白く咲いて居てわが身かなしく家路にかへる
                     
                       木下利玄

この歌、信綱が四句を修正した方がよいと言い、
では「われは悲しく家路にかへる身」でいかがと
利玄は提案しています。

でも、私には最初の方がよく思えます。
心は桜において、うつし身のみが
家路をたどるということではないのでしょうか。

この歌は歌集には収められなかったようですが、
利玄が桜について語った部分に心打たれました。


「自分は桜はしんとしていて、
白くさびしい、花だと感じている。
殊に夕方の桜を見てしみじみさう感じた。
次のやうな歌を作ったことがある。

人かへりさくらしらみてくるるなり我身一つはいかにすべけむ

赤坂の茶屋に三味なり灯がともり山王のさくらは冷くしらみぬ

山王のさくらしらみて夕ぐれの物はかなさに我身のひたる」


この3首は『銀』(大正3、5月)に
収録されています。

この、桜は白くてさびしいという
利玄の美意識は大好きですが、
染井吉野ではなかったのではと思います。

戦災で焼失したという山王の桜は何だったのか。
白い、というと原種に近い山桜や大島桜かもしれません。