子供には5歳くらいまで胎内での記憶があるという。
20余年前のことになるが、TV番組でやっていたのを見て、
翌日、息子にたずねてみたことがある。
「ママのお腹の中にいた時のこと、覚えている?」
「うん、覚えているよ。」
(あたりまえ、という返事である。)
「ママのお腹の中は暖かでいい気持ちだった。
でも、真っ暗で、お目々を開いても閉じても何も見えなかった。
僕はこういう格好をしていたんだ。」
(と、いわゆる胎児のポーズをしてみせる)
「ママの声も聞こえたし、パパの声も聞こえた。
僕もお話しようと思ったんだけど、
声が出せないことがわかった。
ママの考えていることは、何でもわかったよ。」
「どうやってわかったの?」
「心の中でね、わかったの。」
「今はどう? 今もわかる?」
「ううん、もうわからない。」
「他に覚えていることはない?」
「ママが喋ったり、笑ったり、静かにお勉強していると、
僕うれしくて、手と足をばたばた動かしたりしてね、踊ったんだよ。」
「生まれた時のこと、覚えてる?」
「うん。寒くて、僕ママのお腹の中に帰りたいなぁって思ったの。」
「ママのお腹の中にいたこと、わかっていたの?」
「うん。わかっていた。」
「じゃあ、生まれた時にはママもパパもわかった?」
「うん、お目々は見えなかったけど、
心の中の鏡に映って、誰かが教えてくれたから、
だっこしてくれたのがパパだとわかったの。」
「いつお目々は見えるようになったの?」
「お洋服を着せてもらった時から。」
「体を洗ってもらったこと覚えている?」
「うん。ごしごしするから痛くって。
でも、洗い終わったら気持ちよかった。」
まず、生まれてすぐに私と対面。
それから、ごしごし体を洗われて、
気持ちよくなったところでパパと対面。
服を着せられて、キャスター付きのベッドに寝かされて
新生児室に連れていかれたらしい。
「パパは途中で帰ってしまったので、さびしかった。」
のだそうである。
パパは仕事をお休みしてつきそってくれたが、
陣痛の最中に、「腰をもっと強くさすって」などと
手伝わされて、さすがに疲れたのだろう。
生まれたのが11月8日夜中の11時15分。
明け方に破水して、陣痛促進剤を打ってから
半日近く苦しんでいて、
その間に同室の妊婦さんが次々に出産。
「この波の乗って生んでしまわないと
明日になってしまいますよ~」という
看護婦さんの励ましで、ぎりぎり8日のうちに生まれた。
日付が変わって木曜日。パパは夜更けの道を
きれいなお星さまを見ながら帰ったのだそうだ。
出産直前までツワリに苦しんでいた私に
赤ちゃんがお腹にいる実感はなく、
超音波の画像で見たり、お腹を蹴られたりしても、
「母親」の自覚はあまりなかった。
そんな私の考えていることが、わかっていたとは。
お腹をけられても「元気がいいなぁ」くらいにしか思わなかったが、
嬉しくて動きたくて、踊っていたのだという。
これは犬猫が突然言葉をしゃべりだしたようなショックだった。
ふにゃふにゃと生まれてきた赤ちゃんはただ泣いて
何故泣くかわからない新米ママを困らせたのだけれど、
何でも感じられるのに言葉で伝えられないのが
じれったくて泣いていたのだろうね。
「僕はね、こんな豆粒みたいなのから、
ずんずんって大きくなったんだよ。ママのお腹の中で。」
「どうしてわかるの?」
「心の中でね、わかったんだよ。」
話してしまうと、息子はあくびをして眠ってしまった
胎児の心の鏡に映る、心の中でわかるって
どういうことなんだろう。
しかも、もしそのまま覚えてくれていたら、
性教育なんて必要ない。
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