ノイバラ山荘

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胎児は踊る

2019-02-23 23:33:33 | 夢と死

子供には5歳くらいまで胎内での記憶があるという。
20余年前のことになるが、TV番組でやっていたのを見て、
翌日、息子にたずねてみたことがある。

「ママのお腹の中にいた時のこと、覚えている?」

「うん、覚えているよ。」
(あたりまえ、という返事である。)
「ママのお腹の中は暖かでいい気持ちだった。
でも、真っ暗で、お目々を開いても閉じても何も見えなかった。
僕はこういう格好をしていたんだ。」
(と、いわゆる胎児のポーズをしてみせる)
「ママの声も聞こえたし、パパの声も聞こえた。
僕もお話しようと思ったんだけど、
声が出せないことがわかった。
ママの考えていることは、何でもわかったよ。」

「どうやってわかったの?」

「心の中でね、わかったの。」

「今はどう? 今もわかる?」

「ううん、もうわからない。」

「他に覚えていることはない?」

「ママが喋ったり、笑ったり、静かにお勉強していると、
僕うれしくて、手と足をばたばた動かしたりしてね、踊ったんだよ。」

「生まれた時のこと、覚えてる?」

「うん。寒くて、僕ママのお腹の中に帰りたいなぁって思ったの。」

「ママのお腹の中にいたこと、わかっていたの?」

「うん。わかっていた。」

「じゃあ、生まれた時にはママもパパもわかった?」

「うん、お目々は見えなかったけど、
心の中の鏡に映って、誰かが教えてくれたから、
だっこしてくれたのがパパだとわかったの。」

「いつお目々は見えるようになったの?」

「お洋服を着せてもらった時から。」

「体を洗ってもらったこと覚えている?」

「うん。ごしごしするから痛くって。
でも、洗い終わったら気持ちよかった。」

まず、生まれてすぐに私と対面。
それから、ごしごし体を洗われて、
気持ちよくなったところでパパと対面。
服を着せられて、キャスター付きのベッドに寝かされて
新生児室に連れていかれたらしい。

「パパは途中で帰ってしまったので、さびしかった。」
のだそうである。
パパは仕事をお休みしてつきそってくれたが、
陣痛の最中に、「腰をもっと強くさすって」などと
手伝わされて、さすがに疲れたのだろう。

生まれたのが11月8日夜中の11時15分。
明け方に破水して、陣痛促進剤を打ってから
半日近く苦しんでいて、
その間に同室の妊婦さんが次々に出産。
「この波の乗って生んでしまわないと
明日になってしまいますよ~」という
看護婦さんの励ましで、ぎりぎり8日のうちに生まれた。

日付が変わって木曜日。パパは夜更けの道を
きれいなお星さまを見ながら帰ったのだそうだ。

出産直前までツワリに苦しんでいた私に
赤ちゃんがお腹にいる実感はなく、
超音波の画像で見たり、お腹を蹴られたりしても、
「母親」の自覚はあまりなかった。
そんな私の考えていることが、わかっていたとは。

お腹をけられても「元気がいいなぁ」くらいにしか思わなかったが、
嬉しくて動きたくて、踊っていたのだという。
これは犬猫が突然言葉をしゃべりだしたようなショックだった。

ふにゃふにゃと生まれてきた赤ちゃんはただ泣いて
何故泣くかわからない新米ママを困らせたのだけれど、
何でも感じられるのに言葉で伝えられないのが
じれったくて泣いていたのだろうね。

「僕はね、こんな豆粒みたいなのから、
ずんずんって大きくなったんだよ。ママのお腹の中で。」

「どうしてわかるの?」

「心の中でね、わかったんだよ。」

話してしまうと、息子はあくびをして眠ってしまった

胎児の心の鏡に映る、心の中でわかるって
どういうことなんだろう。
しかも、もしそのまま覚えてくれていたら、
性教育なんて必要ない。






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