五歳の息子にたずねてみたことがある。
神さまを見たことがある?
うん、あるよ。
神さまはね、金色の長いお洋服着ていて、
手にピカピカ光る剣を持っていて、
キラキラの冠をかぶっていた。
いつ、見たの。
ママのお腹にいた時、夢に見た。
何かお話した?
神さまは「偉い人になりなさい」って言った。
そうか、そうか、偉い人になってくれるのかと
楽しみにしていたのだが、
偉い人についぞなることはなく、息子は死んだ。
あるいは、「偉い人」の意味が、
私たちが考えるのと違ったのかもしれない。
息子は生きている間、私たち家族を大切にし、
職場では先輩や後輩、同僚を大切にした。
わたしたちの誕生日や父の日、母の日には必ず、
その時の経済状態に見合ったプレゼントをくれた。
私がキッチンに立っていると、何も言わずに
洗いものをしたり、盛り付ける皿を出したりして
あたりまえのように助けてくれた。
母子なので、何も言わなくても私の気持ちが
分かってくれるのだろうと思っていたが、
同じようなことを職場でもしていたと
同僚や後輩が話してくれてわかった。
大人になってから一緒に歩いていると
いつも息子は背後にいて、
それはとんでもない安心感だった。
そういうのを、「偉い」といってもいいのかもしれない。
当初の予定の「偉い」を究めたので、
息子は死んでしまったのかもしれない。
突然死んでから、彼はどこに行ってしまったのか、
考えるようになった。
この一年、息子が夢に出てきたのは母の日の一度だけだ。
息子の不在にひたすら耐えた。
一周忌は震えるほどの恐怖だった。
何もせずに家で過ごし、平静をたもった。
葬儀から一年たって、ようやく息をついた。
死後の世界の本も読みふけったが、
あまり深入りすることは避けた。
深入りすると、この世界にいることが
できなくなりそうだった。
その中で、神さまたちと人間の魂は、空の上にいて、
魂は自分で母親を選んで、神さまの許可を得て
生まれてくるのだという話を読んだ。
死んだら「ああ、楽しかった」と
この世での苦しみ多き生に感謝して
また空の上の世界に戻るのだという。
ああ、息子はまた金色の神さまのところへ
戻っていったのだと思った。
楽しく笑いながら、大好きなスイーツを
たくさん食べているに違いない。
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