今、グループで「ZEROの法則」という本を読んでいます。
興味深いので、ここに掲載しています。
ZEROの法則 第9章 4続き
どんなに本気で考えても
人生観がつかめなかったら
どうしたらいいでしょうか。
人間の根本
[生命の核]の成長は
ものを見たり感じたりしたときの
思考の変化に現れます。
物事に対する認識の仕方や
洞察力が一瞬で変化する
そんな一瞬の変化です。
一歩ずつの変化は
現在の思考の延長線上を
歩いているだけのものです。
認識の仕方には
必ずクセがあります。
そのクセの修正こそ
成長と進化の活動なのです。
たとえば
何かあると必ず自分を
攻める人がいます。
自分を本当に
愛してはいない人です。
そういう人の多くは
愛そのものをつかめていませんから
本気で他人を愛することができません。
愛と情の混同が起こっているのです。
そんな風に自分自身を
見つめてみて下さい。
1998年発刊 川又審一郎著
<クリスマス>
長い間クリスチャンをやっていた私は、沢山の思い出があるとを思い出しました。教会でのクリスマスは、礼拝、賛美歌、会食等、バザー。商店街ののクリスマスは、きらびやかでそれも楽しい。キリスト教圏の基本は家庭内でのクリスマス。手作りのケーキ、クリスマスのご馳走、プレゼントetc.そこには必ず、神への感謝、神様の存在があるのではないかと思うのである
興味深いので、ここに掲載しています。
ZEROの法則 第9章 4続き
どんなに本気で考えても
人生観がつかめなかったら
どうしたらいいでしょうか。
人間の根本
[生命の核]の成長は
ものを見たり感じたりしたときの
思考の変化に現れます。
物事に対する認識の仕方や
洞察力が一瞬で変化する
そんな一瞬の変化です。
一歩ずつの変化は
現在の思考の延長線上を
歩いているだけのものです。
認識の仕方には
必ずクセがあります。
そのクセの修正こそ
成長と進化の活動なのです。
たとえば
何かあると必ず自分を
攻める人がいます。
自分を本当に
愛してはいない人です。
そういう人の多くは
愛そのものをつかめていませんから
本気で他人を愛することができません。
愛と情の混同が起こっているのです。
そんな風に自分自身を
見つめてみて下さい。
1998年発刊 川又審一郎著
<クリスマス>
長い間クリスチャンをやっていた私は、沢山の思い出があるとを思い出しました。教会でのクリスマスは、礼拝、賛美歌、会食等、バザー。商店街ののクリスマスは、きらびやかでそれも楽しい。キリスト教圏の基本は家庭内でのクリスマス。手作りのケーキ、クリスマスのご馳走、プレゼントetc.そこには必ず、神への感謝、神様の存在があるのではないかと思うのである