雑誌「ロードショー」が休刊したとの報を眼にした。
最近は手にしていなかったが、映画とりわけ洋画に夢中だった頃は、愛読者の一人だった。70年代当時は邦画が不振で、面白い映画といえば当然に洋画だった。
本当のところ、私にはいささか白人に対する差別感がある。自分よりも一回りも二まわりも大きい白人の子供と散々喧嘩をしてきたせいだ。夏から秋にかけての時期に、よく取っ組み合っていたので、連中のチーズ臭い体臭にはいささかウンザリしていた。
しかし、そんな差別感を忘れさすほど洋画は面白かった。ざっと思い出しても「ポセイドン・アドベンチャー」「大脱走」「ナヴァロンの要塞」「卒業」と鮮やかに記憶が呼び覚まされる。その洋画を綺麗なグラビアで紹介する雑誌が「ロードショー」だった。俳優のインタビュー記事や、撮影現場の裏話などを読み漁ったものだ。
実はもう一冊「スクリーン」という似たコンセプトの雑誌もあった。その別冊はポルノ映画(もちろん洋物)専門で、私としては興味津々ではあったが、妹たちと回し読みすることもあって手が出せなかったのも懐かしい思い出だ。
されどインターネットの普及に伴い、映画の情報もネットで得る時代となり、映画雑誌の発行部数も大幅に減少し、広告収入も激減したための休刊であるようだ。時代の流れとはいえ、いささか寂しい。
思い返すと、昔は映画を観るというイベントは特別なものだった。映画館へ赴き、ジュースやお菓子を抱え、2時間余りを過ごす。日常空間から離れて、異世界を覗く特別な時間だった。自宅の居間で見るTV映画では、この特別な感覚は味わえない。
しかし、ビデオの普及で気軽に、自分の都合に合わせて何時でも映画が観れるようになると、わざわざ映画館へ足を運ぶ回数も減ってしまった。映画を身近に観れるようになった反面、ある種のありがたみが薄れた気がする。
ここしばらく映画館には足を運んでいない。映画雑誌の休刊も止む無きことなのだろう。でも、映画館の巨大なスクリーンと、迫力ある音響システムで観る映画は格別なのも分っている。
怠け癖を追い立てて、努力して時間を作って、映画館に足を運んでみますかね。
最近は手にしていなかったが、映画とりわけ洋画に夢中だった頃は、愛読者の一人だった。70年代当時は邦画が不振で、面白い映画といえば当然に洋画だった。
本当のところ、私にはいささか白人に対する差別感がある。自分よりも一回りも二まわりも大きい白人の子供と散々喧嘩をしてきたせいだ。夏から秋にかけての時期に、よく取っ組み合っていたので、連中のチーズ臭い体臭にはいささかウンザリしていた。
しかし、そんな差別感を忘れさすほど洋画は面白かった。ざっと思い出しても「ポセイドン・アドベンチャー」「大脱走」「ナヴァロンの要塞」「卒業」と鮮やかに記憶が呼び覚まされる。その洋画を綺麗なグラビアで紹介する雑誌が「ロードショー」だった。俳優のインタビュー記事や、撮影現場の裏話などを読み漁ったものだ。
実はもう一冊「スクリーン」という似たコンセプトの雑誌もあった。その別冊はポルノ映画(もちろん洋物)専門で、私としては興味津々ではあったが、妹たちと回し読みすることもあって手が出せなかったのも懐かしい思い出だ。
されどインターネットの普及に伴い、映画の情報もネットで得る時代となり、映画雑誌の発行部数も大幅に減少し、広告収入も激減したための休刊であるようだ。時代の流れとはいえ、いささか寂しい。
思い返すと、昔は映画を観るというイベントは特別なものだった。映画館へ赴き、ジュースやお菓子を抱え、2時間余りを過ごす。日常空間から離れて、異世界を覗く特別な時間だった。自宅の居間で見るTV映画では、この特別な感覚は味わえない。
しかし、ビデオの普及で気軽に、自分の都合に合わせて何時でも映画が観れるようになると、わざわざ映画館へ足を運ぶ回数も減ってしまった。映画を身近に観れるようになった反面、ある種のありがたみが薄れた気がする。
ここしばらく映画館には足を運んでいない。映画雑誌の休刊も止む無きことなのだろう。でも、映画館の巨大なスクリーンと、迫力ある音響システムで観る映画は格別なのも分っている。
怠け癖を追い立てて、努力して時間を作って、映画館に足を運んでみますかね。