我が道を行っちゃった男、それが武藤敬司だった。
猪木と馬場以降、日本のプロレス界にスーパースターはいない。鶴田にせよ、長州にせよ、あるいは前田にせよ第三のスーパースターには成れなかった。
だが、可能性を持ちながらも、第三のスーパースターの道を拒否した男がいる。それがグレート・ムタこと武藤だ。この男には華があった。均整のとれた長身、少し濃いが二枚目といっていい容貌。そして運動能力は人並み以上。しかも柔道の国体出場経験もあり、基礎は出来ている。
新日本プロレスでも当初からスター候補として期待していた逸材であった。若手の頃から目立ってはいたが、後に闘魂三銃士の一人としてメジャーデビューすることになる。
だが、本当の意味でメジャーになったのは、日本ではなくアメリカであった。当時、アメリカで大人気であったグレート・カブキの後継者としてグレート・ムタとして登場した。そして、アメリカで大人気のプロレスラーとなって凱旋帰国している。当初は気が付かなかったが、アメリカでの人気は本物で、グレート・ムタの姿をみてプロレスに憧れ、成人してプロレスラーになったと広言しているアメリカ人プロレスラーは少なくない。なかでもザ・ロックは熱烈なムタ・ファンで、来日した際に武藤にサインをもらったと大喜びで吹聴しているぐらいだ。
実際、武藤のプロレスはスケールが大きく、マットを縦横に飛び回り、大げさなポーズで観客の目線を集中させ、あげくに毒霧を吹いて盛り上げる。実に演技力に長じたプロレスラーであった。
ただし、日本での人気はそれほどではない。なぜなら格闘志向の強い日本のプロレスでは、武藤はいささか浮いた存在であったからだ。柔道で国体に出場し上位入賞の実績もある武藤だが、格闘技者としての自分には限界を感じていたらしい。
決して弱い訳ではない。ただ、プロレスをエンターテイメントとして割り切っていたように思う。その覚悟があったからこそ、アメリカで大人気を博したのであろう。ただ、IWGPベルトを掲げてプロレス最強伝説を標榜する新日本プロレスの人気レスラーとしての自分に割り切れぬものを持っていたように思う。
実は武藤、かなり真面目な男である。愛嬌のあるハンサムな容貌ながら、嫁さん第一の堅物であり、人気レスラーにはつきものの女性タニマチ絡みのスキャンダルも耳にしたことがない。プロレスを仕事と割り切り誠実に勤め上げようとして、信じてもいないプロレス最強伝説を演じることもやっていた。たしかIWGPベルトも6回ほど締めている。
ただ、多分そんな自分を窮屈に感じていたように思う。猪木の支配力が低下し、分裂と新規プロレス団体が乱立するようになると、武藤は好き勝手するようになった。自分をプロレス最強伝説から解き放ち、自分がやりたいと思うエンターテイメントとしてのプロレスを前面に出すようになった。
率直に言って、武藤には猪木、馬場亡き後の日本プロレス界を背負って立つ力量はなかったが、それ以上にそのような重責ある立場を厭うていたように思えてならない。そんな大それたことより、自分が楽しめる、自分が馴染みやすいプロレスに固執した男、それが武藤であったように思う。
己の力量を知る武藤らしいともいえるが、今少し野心があったら違うプロレスが観れたかもしれないとも思う。もっといえば、野心に欠けたからこそ、面白味はあれども凄みに欠けてしまったプロレスラー、それが武藤なのかもしれません。