あまりTVを観ない私だが、実はBGM代わりにしていることがままある。
以前はFM放送であったのだが、これはエアチェックを頻繁にしていた十代の頃の名残で、いわば慣習のようなものだった。今でも車を運転中はFMラジオを聴くことが多いが、家では聴かなくなっている。
別に嫌いになったわけではなく、ただ単にエアチェックをしなくなったので自然に家で聴かなくなっただけだ。代わりにTVを聴くようになった。観るようにではなく、聴くようにと表現するのは、実際TVの画面を観ていることが少ないからだ。
TVはもっぱらニュースと天気予報が主で、天気図だけはTV画面で観るようにしているが、後は聴くだけでも支障はない。でも、さすがにスポーツ中継は真面目に観るし、良く出来たドキュメンタリー番組ならしっかりと観る。
また仕事柄経済に関する番組には一応、チェックするようにしている。そうなるとTV東京の番組が増えてくる。このTV局は日経新聞がバックにいるせいか、いささか偏りがあることもあるが、地道に取材している番組も多く、特に23時からの番組は前半だけは聴くようにしている。
なんで聴くかというと、大概なにか他の家事をしているからだ。ワイシャツにアイロンをかけていたり、流しで洗い物をしていたり、はたまた洗濯していることもある。家事をしながら、TVに耳を傾けて気になったら観る。
私にとってTVとは、その程度のものなのだが、なかには気になってTV画面を注視している時もある。その代表的番組の一つが「開運、なんでも鑑定団」である。美術品や骨とう品の由来などを解説する部分も、分かり易く作られているが、やはり気になるのが鑑定結果が値段で表示される場面である。
洗い物を片手に、その瞬間だけTVを覗いたりしているぐらいだから、私もけっこうミーハーだと思う。
値段表示後、鑑定をした専門家が解説する訳だが、その語りが上手いと思うのが表題の著者だ。誰もが一度は耳にしていると思う、あの科白である。
「いい仕事してますねぇ」
古伊万里では我が国でもトップクラスの目利きだそうだが、私が表題の書を読んで感心したのは嘘のつき方。持ち込まれる古美術品の大半が偽物だそうだが、決して偽物だと断定せず、値付けもせず、当たり障りがなく、言質もとられず、それでいてお客を不快にさせない。
これぞ商人の知恵であり、目利きの世間知でもある。
我が身に顧みて痛いほど良く分かる。税理士である私の下にはいろいろな相談が持ち込まれる。なかでも開業の相談は嬉しい反面、辛いことも少なくない。なぜなら開業する前から失敗が予測できてしまうことがあるからだ。
いや、既に開業してしまっているケースもあり、未来への夢と現実の不安を語る新米経営者に複雑な視線を投じざるを得ないことが、ままある。言いたいことは山ほどある。
閉店のタイミング、梼Yの仕方、その判断基準。全て後ろ向きの助言ばかりだ。だが、今はもうそんな事は云わない。ただ、誠実に相談者の言い分に耳を傾ける。余計な助言はしない。ただ、当面必要と思われる現実的な問題への対処だけをアドバイスするに留める。
本当はもっと言いたいことがある。でも言わない。過去の経験から、夢を語る新米経営者に、暗い助言を聴く耳がないことを知っているからだ。もっとも私の予測が全て当たるわけでもない。実際、危機を乗り越えてお店を続けている逞しい経営者だっている。その苦労を思うと、自然と頭が下がる。
だが、少なからず失敗した経営者もいたことは事実だ。不思議なことに、私が若かりし頃、言わなくてもいい助言をしてしまった方たちとは、それっきりでその後の消息も分からない。
ところが、言いたいことを我慢して、ただ真面目に話を聴くだけに留めた経営者たちとは、そのお店が失敗した後でも付き合いが続くことが少なくない。なかには再起に成功し、新たな人生のステップを踏み出した方もいる。
私が余計なことを言わなかったのは正解だったのだろう。おそらく古美術商を長くやっていた中島氏も、私以上に似たような経験を重ねてきたのだろう。それは贋作ですよと言いたいのを我慢して、「珍しいお品ですね」などと誤魔化してきたが故に彼は信用を築けたのだと思う。
それが本物であろうと、偽物であろうと好きで購入してしまったコレクターには、自分にしか分からぬ喜びがある。それに水をさすことなく、また確実に儲かる贋作ビジネスに染まることを避けることで、古美術の目利きとしての信用を勝ち得たのだろう。
真実は必ずしも人を幸せにしない。嘘をつかれて騙されるのは仕方ないが、自ら嘘をつくことはしない。権威や流行におもねることなく、ただ自らの審美眼のみを信じて商売を続ける。そこに誠実な商人としての矜持がある。
贋作があるからこそ真作が輝くのも事実。白とも黒とも見分けがつかぬ灰色があるからこそ、多彩な芸術が楽しめる。
古美術、骨董の世界は、まことに奥が深いと思いますね。