ヌマンタの書斎

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財務省解体デモ

2025-03-14 09:23:54 | 社会・政治・一般

戦後の日本において、最もデモが盛り上がったのは60年安保闘争の時だと思う。

私はまだ生まれる前だが、この時の話は民青の人たちからよく聞かされた。国会議事堂前に集まった100万を超える大衆が集まり、まさに革命前夜を思わせる盛り上がりであったそうである。しかし日米安全保障条約は何事もなく締結された。つまりデモは失敗であった。

その後の70年安保闘争も失敗に終わり、その後闘争の主役であった学生運動家たちは分裂しただけでなく、内ゲバを繰り返し、遂にはあさま山荘事件と連合赤軍によるリンチ事件などが露呈しえて急速に衰退していった。

この衰退は学生たちに「しらけ気分」を蔓延させて、三田誠広に「僕ってナニ」を書かせ、村上龍に「限りなく透明に近いブルー」を書かせた。もう若者たちはデモに希望を持ちはしなくなった。

それでもデモの熱気に煽られた一部の若者たちは、その熱い想いを忘れることは出来なかったのだろう。青春の情熱を燃やしたデモを語る若者たちに些か閉口していた私だが、さすがに失敗に終わったことを口にするような無粋なことはしなかった。ただ静かに遠ざかり、運動に関わることを避けるようになった。

その後、バブル景気の熱狂の最中、私は難病療養のため家に閉じこもるようになり、社会復帰するまで完全に政治からは遠ざかっていた。完全には治らなかったが、不完全緩解ということで社会復帰することなり、銀座のOB税理士の下で働き出した。

仕事は未経験の業務だが、むしろ新鮮な気持ちで取り組めたのが楽しかった。ただ哀しいほどに体力が落ちていた。通勤の電車の同じ車両内で誰かが咳をしていると、夜半になると風邪を引く有様であった。さりとて急激に運動をする訳にもいかなかった。

だから当時はよく歩いた。定時で仕事を終えると、銀座から溜池を抜けて六本木経由で渋谷まで歩く。あるいは銀座から日比谷公園を通り抜けて赤坂見附に出て、そのまま表参道経由で渋谷まで歩く。このルートを好んで歩いたのは、途中にケーキや和菓子の美味しい店があり、そこで中休みをする楽しみがあったからだ。

ある日、日比谷公園を通り抜けようとしたら、なにやら集会をやっていた。掲げられたポスターなどから左巻きの方々だと分かったが、その時聞こえてきた声に記憶が呼び戻された。

私は高校生の頃に、当時参加していた民青の関係グループを抜けたのだが、その時のメンバーの一人に同級生がおり、彼の声に似ていたのだ。気になって近くまで寄ってみると、だいぶ老けてはいたが、やはり彼であった。当時から演説好きではあったが、私が抜けた後は期待の新人扱いであったと聞いてはいた。でも、まだやってたのかよ・・・

デモを政治的な意見表明の手段として、果たしてどれだけ有効なのか考えたことがあるのだろうか。国会議事堂前に百万人以上が集まった安保闘争デモでさえ対して効果はなかったと思う。むしろ樺美智子さんの死亡のほうが、むしろ影響力はあったと思うが、あれは事故だ。双方狙ったものではない。

デモなんて役に立たない。そう考えて運動から遠ざかった人はけっこう多いと思っていたが、青春時代の熱い想いを美化している人もまたけっこう多いらしい。あの日見かけた参加者の多くは中高年であり、若い人はあまり見かけなかった。

そう考えていたのだが、最近は少しだけ様子が変わってきた。煽動だけは得意な立花とか、底の浅い考えを上手に宣伝する山本とかに引っかかる若い人は確実にいるようだ。特に社会的地位は低いが、ネット上で意気り散らすことで大物ぶっている若者があっさりと引っ掛かっているらしい。

ところが割と本格派というか、ある程度経済知識もあり、行政職の経験もある人からの財務省批判がネットを中心にアップされたことで、財務省解体デモが拡散しているようなのだ。

これは困る。財務省解体デモなんて効果は乏しい。ただ役人が嫌がるだけだ。私はこの三十年の日本経済の低迷は、財政支出を削ることに傾倒している財務省にこそあると考えている。しかし、財務省解体では解決しないことも分かる。

私が特に困ると思うのは、財務省を解体しても変らないと知っていながら、解体デモを支援する人たちがいることだ。おそらく狙いは財務省頼りの自民党の議員たちを落選させることだろう。そうなると野党にも政権奪取の可能性がみえてくる。

さすがに民主党政権の再来はないと思いたいが、可能性は十分ある。長くなったので、では何故に財務省解体が意味ないのかは来週にでも書きます。

 

 

コメント (4)
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