多くの日本人は勘違いをしているのではないか。
銃弾が飛び交い、爆弾が落ちてこなければ戦争ではない、と。だから戦後半世紀、憲法9条のもとに日本は平和であった、と。
第二次世界大戦で日本は多くの戦死者を出した。でもその戦死者のうち、敵の銃弾や砲撃で死んだのではなく、病死や餓死で死んだ人も数十万人いたことを忘れている。銃弾や爆弾でなくても、人は殺せるのです。
日本は狭い国内での常識に慣れているせいか、遠方の戦地での戦いが下手だ。なにより補給(兵站といいます)の重要性が、正しく認識されていない。アメリカ軍などは、その構成を看ると、実戦部隊は3~4割で、残りの大半は兵站を担当する部隊が中心です。予算も配分も兵站の重要性を十分に配慮した構成になっている。おそらく、物流管理を含めて世界で最も進んだ兵站システムを持っていると思います。
一方、旧日本軍にしろ、当時の日本帝国政府首脳陣にしろ、いずれにしても兵站の重要性を深く認識していた人は少ない。それゆえ、まともに警護していない補給艦船をアメリカに狙われ、そのためにガダルカナルをはじめとした南方戦線では武器弾薬、食料、医薬品といった補給物資が大幅に欠落してしまった。それゆえに、日本軍の兵隊たちは餓死、病死が大量に発生した。
戦争で相手を唐キのは、なにも銃弾や爆弾だけではない。食料や医薬品を絶てば、それでも敵の兵士を殺せる。ベトナム戦争では北ベトナム(というより共産中国)は麻薬を敵(アメリカ)に蔓延させて、その軍事力を削ぐ作戦を実行している。これは毛沢東自身が、誇らしげに語っています。
ところで、戦後日本は一度も戦場にはなっていない。ただ、朝鮮戦争やベトナム戦争の補給基地の役割を果たしただけだ。で、日本は本当に平和国家だと言えるのか?
北ベトナムや北朝鮮からすれば、いくら戦ってもアメリカ軍の兵士たちは日本から物資の補給を受けて回復してしまう。日本製の武器弾薬、食料、医薬品を使ってアメリカ軍は、北ベトナムや北朝鮮の兵士たちを殺していく。あ?どこが平和国家だ!
戦って死んでいくアメリカ軍の兵士はもちろん、死んでいったベトナムや朝鮮の人々すらビジネスチャンスとみて、経済の高度成長を成し遂げた日本が平和国家だって?
第二次世界大戦の反省をしっかりしていれば、戦後の日本が平和国家だなどいう愚論(いや、醜論と評すべきか)が出てくるわけがない。補給作戦の失敗で、自国兵士の餓死、病死を招いたことさえ忘れて、何が反省か。補給(兵站)も立派な戦争の構成要素なのです。日本は間違いなく戦争に協力参加(間接的とはいえ)していると、私は考えます。
戦後の日本が、他国の戦争を食い物にして育った国家である現実を無視して、無邪気に平和国家面する醜悪なあつかましさは、いい加減止めた方がいい。狡猾な国家戦略だと評してもいいけど、主体的なものでなく、状況を上手に利用しただけだしね。
おそらく安倍・新政権は改憲論議を本格化させるでしょう。その際、必ずや護憲論者という、厚顔無恥な平和真理教徒が、賢しげに平和を語りだすでしょう。私は彼らの恥知らずな主張に耳を汚されるのが、今からおぞましくて仕方ありません。でも、民主主義って奴は、そんな連中との共存を目指したものですから、いたし方ないのでしょうね。
銃弾が飛び交い、爆弾が落ちてこなければ戦争ではない、と。だから戦後半世紀、憲法9条のもとに日本は平和であった、と。
第二次世界大戦で日本は多くの戦死者を出した。でもその戦死者のうち、敵の銃弾や砲撃で死んだのではなく、病死や餓死で死んだ人も数十万人いたことを忘れている。銃弾や爆弾でなくても、人は殺せるのです。
日本は狭い国内での常識に慣れているせいか、遠方の戦地での戦いが下手だ。なにより補給(兵站といいます)の重要性が、正しく認識されていない。アメリカ軍などは、その構成を看ると、実戦部隊は3~4割で、残りの大半は兵站を担当する部隊が中心です。予算も配分も兵站の重要性を十分に配慮した構成になっている。おそらく、物流管理を含めて世界で最も進んだ兵站システムを持っていると思います。
一方、旧日本軍にしろ、当時の日本帝国政府首脳陣にしろ、いずれにしても兵站の重要性を深く認識していた人は少ない。それゆえ、まともに警護していない補給艦船をアメリカに狙われ、そのためにガダルカナルをはじめとした南方戦線では武器弾薬、食料、医薬品といった補給物資が大幅に欠落してしまった。それゆえに、日本軍の兵隊たちは餓死、病死が大量に発生した。
戦争で相手を唐キのは、なにも銃弾や爆弾だけではない。食料や医薬品を絶てば、それでも敵の兵士を殺せる。ベトナム戦争では北ベトナム(というより共産中国)は麻薬を敵(アメリカ)に蔓延させて、その軍事力を削ぐ作戦を実行している。これは毛沢東自身が、誇らしげに語っています。
ところで、戦後日本は一度も戦場にはなっていない。ただ、朝鮮戦争やベトナム戦争の補給基地の役割を果たしただけだ。で、日本は本当に平和国家だと言えるのか?
北ベトナムや北朝鮮からすれば、いくら戦ってもアメリカ軍の兵士たちは日本から物資の補給を受けて回復してしまう。日本製の武器弾薬、食料、医薬品を使ってアメリカ軍は、北ベトナムや北朝鮮の兵士たちを殺していく。あ?どこが平和国家だ!
戦って死んでいくアメリカ軍の兵士はもちろん、死んでいったベトナムや朝鮮の人々すらビジネスチャンスとみて、経済の高度成長を成し遂げた日本が平和国家だって?
第二次世界大戦の反省をしっかりしていれば、戦後の日本が平和国家だなどいう愚論(いや、醜論と評すべきか)が出てくるわけがない。補給作戦の失敗で、自国兵士の餓死、病死を招いたことさえ忘れて、何が反省か。補給(兵站)も立派な戦争の構成要素なのです。日本は間違いなく戦争に協力参加(間接的とはいえ)していると、私は考えます。
戦後の日本が、他国の戦争を食い物にして育った国家である現実を無視して、無邪気に平和国家面する醜悪なあつかましさは、いい加減止めた方がいい。狡猾な国家戦略だと評してもいいけど、主体的なものでなく、状況を上手に利用しただけだしね。
おそらく安倍・新政権は改憲論議を本格化させるでしょう。その際、必ずや護憲論者という、厚顔無恥な平和真理教徒が、賢しげに平和を語りだすでしょう。私は彼らの恥知らずな主張に耳を汚されるのが、今からおぞましくて仕方ありません。でも、民主主義って奴は、そんな連中との共存を目指したものですから、いたし方ないのでしょうね。
ナャ激Iンの時代 クラウゼヴィッツは その著書 戦争論の中で 戦争とは 別の手段で継続する政治の延長であると 述べています
鮮特需、ナントカ特需なんて、ほんとコワイ表現で
す。その影を考えると、、、。特需の帳尻あわせで人
の命がその影に消えていくわけですから。
ん。
「他国の戦争であり、その特需にたかる事で日本が経
済的利益をえる事のできる戦争」であれば、私は歓迎
ですが・・・・・・・(私は、容赦なく本音を語る奴
です)。
それと、↓の
http://diary.jp.aol.com/tf78arb/78.html
これは大切な事です、「二度の大きな戦争に日本人の
血を流さずに済んだのは憲法を盾ノアメリカと交渉し
た政治家たちの努力の結果であり、この事はもう
ちょっと評価しても良いと思います。
平和憲法があったから戦争を回避出来たのではなく、
平和憲法を盾ノ交渉した政治家がいたから戦争に巻き
込まれなかったのです。その事を私たちは間違えては
いけません。」
憲法は目的ではなく、道具であるという認識が平和真理教の信者の方々にもご理解いただければよいと思いますが、無理だろうなあ~
ところで、兵站で思ったのだが、日本の自衛隊は兵站をどこまでコンテナ化しているのだろうか?
日本の道路では40Ftコンテナを搭載したトラックが通行不能な箇所が多い事もあり、そもそもコンテナ化の進展がいまひとつ。
お陰で、鉄道や船舶を絡めたインターモーダル物流に弱い。
アメさんなんて、物資をコンテナで運ぶのは勿論、兵舎や野戦病院までコンテナ化して運んでまっせ。
コンテナなら荷役も簡単、場合によっては避難場所にすることも出来るし、箱を組み立ててでかい建物にでも出来る。
何より、国内・海外ともに兎に角運びやすい。
国内物流のコンテナ化、なんていうのも意外なところで兵站に強力な力を発揮すると思うんだがねぇ。
日本・・・昔、長谷川慶太郎が自衛隊に商社などの物流担当者を採用して、兵站の見なおしを主張してましたが、改善されたとは聞いたことありません。多分、アメリカ頼みで済ませるつもりなのでしょうか?
戦前も今も、兵站の重要性は理解されていないのでしょうね。しかし、民間の物流でも、コンテナの輸送に障害があるとは知りませんでした。霞ヶ関には物流コストの意識ないのかなぁ~
インドやパキスタンで抗生物質を買い求める時は、
医師に処方箋を貰っていても、パスメ[トを控えられる時があります。
量が多いと警察を呼ばれる。
これ、キリスト教団体のボランティアした友人が経験したことです。
理由は簡単。戦略物資だからです。
インドもパキスタンも国内に反政府組織があり、
また反政府でないまでも、地域扮装や民族運動にかかわる過激な組織は多い。
抗生物質って、戦闘のさいに負傷さた兵士の治療に欠かせない。
であるので、これらの非政府組織に渡るのを警戒して、国が統制してるのですね。
武器を自ら持たなければ戦争に参加してないなどというのは、ヌマンタさんの御指摘通りで、戦後の平和が作った無責任な常識ですよ。
いったい何時になったら戦争と戦闘の区別がつくのか、兵站が戦争の一端であることを理解するのか。正直絶望的な気持ちになりますね。