忍者のイメージが怪し過ぎる
原因は分かっている。江戸時代の講談の影響もさることながら、その後の立川文庫の忍者物語、我が国初の特撮映画である「豪傑自雷也物語」などが忍者のイメージを決定づけた。
戦後になってからも、山田風太郎の伝奇風忍者小説、横山光輝の「伊賀の影丸」などが人気を博した。とりわけ週刊少年ジャンプに連載された「NARUTO」は世界的な人気作となったことも記憶に新しい。
はっきり言うと、本来の忍びの姿とはかけ離れている。忍びが書物に登場した最古は、おそらく天武天皇の頃だと云われるが、歴史的に証明されているのは、室町時代である。特に応仁の乱以降に増えたとされる。
要は既成の社会システムから離脱した人々であり、流民であり盗賊集団であったりした。そのなかでも山地ゆえに大名などの支配を受けにくい伊賀や甲賀、根来の忍者たちが、その特殊技能を売り込み、日本各地の戦国大名たちとの交流を深めていった。
電信電話などがない時代にあっては、情報の貴重さは今日以上であり、戦いに勝つ為、有利にことを運ぶ為にこそ情報の入手は必須であった。だからこそ忍びの者は重宝された。
だが、その権力に服さない姿勢が、織田信長の逆鱗に触れた。初戦は、正真正銘のうつけとして悪名高い次男の信雄がやらかして敗戦したが、これが信長を本気にさせた。
そんな時代背景のもと描かれた表題の書は、比較的忍者の実態に近いと思う。娯楽作品としても十分楽しめ、映画化もされた人気作です。機会がありましたら是非どうぞ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます