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ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

古代の土木工事

2023-09-22 09:15:32 | 日記

数年前から始めている日本史の学び直しだが、相変わらず遅々として進まない。

その最大の原因は資料が少なすぎることだ。もっといえば偏った、あるいは意図的に操作された歴史書が大半であり、歴史の実相が見えずらい。そこで見方を変えて、古代の地図や気候などとも合わせて多方面から探ろうと考えている。

その一つの方法が、古代における海洋交流だ。大和朝廷以前から、日本の九州、西日本と朝鮮半島南部、そして大陸の山東半島との間で交流があったと思しきことが、神社の狛犬や建築様式などから推測できる。ただ文献がないので、未だ歴史学からすると不確定なものである。

ただ日本や朝鮮半島南部の水稲が、シナの深南部からやってきたことは既に遺伝子解析で分かっている。その水稲を持ってきた人間はもちろん、文化、食生活なども同時に移ってきた可能性は非常に高い。ただし、朝鮮半島に関しては、大陸系の新羅、高句麗などが南下して支配を確立したこともあり、交流は途絶えてしまった。

しかし神社という日本最古の宗教に関わる建築物が、山東半島や朝鮮半島にも見かけることが出来る以上、交流があったことは確定的だと考えている。多方面から古代日本史を照らしてみようと考えているなかで不思議に思うことが出てきた。

なんで朝鮮半島には、大規模な土木工事や建造物の史跡がないのだ?

元々東アジアにおいては、シナの中華帝国こそがお手本であり、シナは東アジア屈指の土木事業大国である。もともと大河の氾濫をどう制御するかが国家の主目的であったシナであるからして、有史以前から河川の土木事業は盛んであった。これが黄河文明の原点であり、殷も周も治水事業に多大な投資をしている。

シナには劣るが、日本もまた土木事業の盛んな国であった。これは日本列島の大半が急峻な山地であり、世界屈指の降雨量が流れの速い川を多数作り出すが故に、河川の氾濫は珍しくなく、川と山に分断されがちな国土であるため、沿岸航路の発達が古代から著しかった。故に港(津)や灯台替わりの神社などが数多く建設された。同時に河川の改修工事も盛んであり、古代と現代では地形がまるで違っていることが珍しくない。

ところがシナの文明の優秀な模倣者であるコリアの民が支配する朝鮮半島では、古代から近世に至るまで大規模な土木工事はもちろん、古い文明につきものの巨大な遺跡さえない。それどころか、農業でさえさして発達せず、秀吉の朝鮮半島侵略時と明治時代の清による朝鮮半島譲渡時で農業生産力がほとんど変わっていない有様である。

それだけではない。半島にある国家ならば沿岸航海が発達し、物流の中心を担うのが通例だ。イベリア半島でもイタリア半島でもスカンジナビア半島でも沿岸航路の発達が商業の発展に大きく貢献している。もちろんシナの山東半島も同様であり、南部では台湾や東南アジアとの交流史が確認できる。

鉄道や自動車以前、世界では物流を担うのは陸路では馬車が中心だが、如何せんあまり効率が良くない。やはり舟による物流が量的にも時間的にも最も効率が良かった。シナでも日本でも物流は、大河であり、運河であり、沿岸航路が普通であった。

しかし朝鮮半島では不可解なほどに沿岸航路が未発達であった。いや正確には、沿岸を荒らす海賊(倭寇)とそれを取り締まる海上警察ならばあった。だが商業航路はなかった。これは半島内における商業活動そのものが発達しなかったことが原因だと思われる。19世紀になっても半島内では陸路は未整備で、移動には苦労したことが欧米人の旅行記に記載されている。

ユーラシア大陸屈指の文明国家シナの隣国であり、最も中華文明の優秀な承継者であるはずの朝鮮半島がかくも未発達な文明であることは、ある意味驚きである。奇妙に思いあれこれ調べてみたのだが、どうも意図的に文明後進国であらんとしていたらしい。

朝鮮半島に何時頃儒教が入ったのか不明だが、この孔子が提唱した儒教という宗教を徹頭徹尾形から信仰していたのがコリアの民であったようだ。儒教は古代の周の時代を模範とし、その時代の行動規範を守ることに徹することこそが平和な社会を実現する唯一の方法だとしている。

そのことを字面通りに信じ切ったのが、半島の支配者(両班と呼ばれた貴族層)であり、彼らは現状を変化させることを厭い、新しい技術の発展すら拒否することが良いことだと信じ切っていたらしい。儒教の特徴である商業活動を軽視し、工業さえも蔑視する極端な士農工商による社会統治を守り続けてきた。

それゆえに土地の開墾による農地拡大を拒否し、運送業を軽視したため道路の整備を拒否し、船による物流さえも積極的になれず、港の整備もろくにしなかった。文明の進歩、技術の向上を拒否し、現状を固持することこそ正しい在り方だと信じていたようなのだ。

古代の三国時代に日本へ渡来した百済の人たちには技術者集団がいたようなので、その頃までは水運も灌漑もしていたと思われる。おそらくはその後半島を統一した新羅以降ではないだろうか、技術的な停滞期は。

結果的に朝鮮半島において近代的な国土開発は、日本帝国のもとで行われており、そのせいか半島独自の土木建築技術はまだまだ未熟な状態なのだろう。近年、南コリアで頻発する建築物の崩壊などは、鉄骨を入れずに建てたり、地盤改良工事をせずに大型の建築物を作り崩壊を招くといった結果を招いているようだ。

ただ半島の人々には、自分たちが土木建築技術が低劣であるといった自覚には乏しく、根拠もなしに製造業大国を名乗っている有様。いや、根拠なんざ必要ないのでしょうね、中華思想に囚われた人たちにはね。

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シナの権力闘争

2023-09-21 09:53:36 | 社会・政治・一般

やはり北京政府では相当な権力闘争があったらしい。

元々、米中が半導体規制などから対立を深めており、日本は当然に米国よりなのでシナからすれば敵側である。しかし、半導体で揉めている時は、さほど日本に対しては攻撃的ではなかった。

おかしくなったのは、福島の原発処理水の海中廃棄に対して、汚染水の放出だと日本を名指しで非難し出した頃だ。私は当初から内紛を予測していた。シナ人が外に対して攻撃的になるときは、大概内側で熾烈な権力闘争をしていることが多い。

実際、この6月くらいから新たに外相の座に就いていた秦剛が消息不明となった。7月には解任されたとCNNが報じていた。そして李尚福国防相も二週間以上動向が不明である。いずれも習政権の新人事によりその座に就いたはずなのにである。

ここからは、私の憶測によるが背景にあるのは不動産バブルの大崩壊だと思う。新興の大企業である恒大集団がアメリカにおいて破産申し立てをしたあたりが契機であったと思う。なぜにシナの企業がアメリカで倒産手続きをしたのかといえば、おそらくシナ国内では認められなかったからだと想像できる。

本来、経営危機に陥った企業が再生を望むのならば、可能な限り早期の法的保護が必要となる。しかし、恒大集団に倒産されては困る政府関係者がいる場合、事情は異なる。思い出して欲しい、日本の住専処理を。

日本の場合、バブルが弾けた時、一番に問題となったのは未熟な金融組織である住専であった。住宅融資ならいざ知らず、投機的な不動産投資に疎かった住専は、業者のいい様に金を引き出された。必然不動産バブルが弾ければ、住専も多額の不良債権を抱えるはずである。

そして当時の大蔵省及び金融監督庁は、住専の不良債権を5兆円だと記者クラブを通じて発表していた。しかし、外資であるニューズウィーク誌が独自に調べて住専の不良債権は75兆円だと報じてしまった。

当然、当時の政府及びマスコミは必至で打ち消した。まだ住専はつぶせない、今潰したら霞が関のエリート官僚OBに法的責任が及ぶからだ。彼らを法的な期限から逃れるようにしてから後に、ようやく住専の不良債権処理が始まった。公表された不良債権は90兆円を超えていたが、これは先延ばしにした結果でもある。

この多額の不良債権処理は国民の税金で救済されたが、往時の住専の経営者は逃亡に成功し、現行の経営陣は頭を下げるだけで大手マスコミの生やさしい報道で守られて無事退任している。政府にとっては、国民の負担よりもエリート官僚を守るほうが重要であった。

一方、北京政府である。やはり日本と同様に大手の不動産業者の事実上の破綻を簡単には認めず、先延ばしに入った。なぜなら彼ら不動産業者の背後には、各地方政府の重鎮や北京政府の要人が関わっているはずだからだ。政府との密接な関係なしに事業の拡大はあり得ないシナの実情からすれば、証拠なんぞなくても分かる必然の結論である。

既に長期政権となっている習政権が、この不動産バブルに関わっていないはずがない。おそらく政権内部で壮絶な責任のなすりつけ合いがあったのだろう。その結果が外相及び国防大臣の排除であったと私は睨んでいる。

今のところ正式な発表はなく、またこの情報の出どころは現在シナと対立しているアメリカのメディアなのだから、全面的には信頼できない。でも、不動産バブルの崩壊は確かだし、行方不明の政権の大臣がいることも事実である。

もし、この権力闘争が終結し、不動産バブルの崩壊に政府の手が入るようならば、もうシナの国民の関心を福島の汚染水に向ける必要はなくなるように思います。もっとも、権力闘争がまだ続く可能性も十二分にあるとも思うのですがね。

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トルコ戦を終えての今後の日本代表サッカー

2023-09-19 17:42:19 | スポーツ

日本のサッカーがプロ化されてJリーグが始まった時、私のある種の諦念を感じていた。

ブラジルやドイツの長身で屈強な選手がゴール前にディフェンダーとして君臨している姿は、安心感を感じると同時に、同じことが日本人選手に出来るのか不安だった。

当時の日本人DFといえば、柱谷哲二や井原などの長身タイプであったが、海外の一回り大きい選手に太刀打ちできるとは思えなかった。その後ボンバー中沢やブラジル帰化選手の闘莉王、吉田と長身選手が活躍したが、やはり不安は拭えなかった。

やはりジーコやオシムのように俊敏で読みの良い選手を組織的に使うのが、日本の守り方なのかと考えていた。

ところがブンデスリーガで活躍している長谷部がベストイレブンのDF部門で選出されたと聞いて驚いた。長谷部は日本人としては長身(184センチ)だが、体つきは引き締まった痩身であり、あのデカい、強い、素早いゲルマン民族のDFたちに伍してベストイレブンに選ばれるとはどういったことだと不思議に思っていた。

ブンデスリーガ最年長の長谷部は全試合に出ている訳ではないが、ほぼレギュラー扱いであり、その試合ぶりをみると、普通にセンターバックを務めている。他の選手に指示を出し、自らもゴール前に上がるそのプレーは、往年のマテウスやベッケンバウアーを思わせた。でも、あんなに逞しくはないぞ。

非常に気になって、あれこれ調べてみると長谷部は体の使い方が上手かった。体の寄せ方、ポジションの取り方、先の先を読む素早い思考など努力と研鑽の成果が、ブンデスリーガ屈指の名DFを作り上げたのだと分かった。

この長谷部の努力は他の日本人選手にも影響を与えた。一対一で負けないプレーを心がける選手が増えた。その嚆矢が内田篤人であり長友であった。二人とも小柄ではあったがドイツやイタリアでレギュラーとしてサイドバックを務めて認められた。長身の酒井もこれに続いた。

だが世界に通用するセンターバックとなると厳しい。そこに現れたのがフランクフルトで長谷部の同僚となった遠藤航だ。とにかく一対一に強くブンデスリーガでも一番の成績を残している。日本代表でも中核を担う人材となっている。

さらに富安健洋という選手が出てきた。まだ波はあるが遠藤と並び日本の守備の要となる選手である。二人ともカタールW杯の時、既に活躍していたが、今回のドイツ、トルコ(途中出場)との親善試合でもほかの選手との格の違いを見せつけた。

更に今回の親善試合では菅原や伊藤洋輝、板倉晃、谷口といった若手も光るものをみせていた。Jリーグが始まり本格的に世界と戦う日本代表の一番の不安であった個々に強いDFが確実に育っていることは望外な驚きであり、喜びでもあります。

ただ現時点での日本は、伝統的な強豪国に勝っただけで話題になる程度のレベルです。今、EUROで旋風を巻き起こしているカザフスタンや復活を狙うオランダ、イタリア(共にカタールW杯には未出場)と戦って勝てるかと問われれば疑問符が脳裏に浮かぶのは避けられない。

しかもこの先待ち受けるワールドカップ大会のアジア予選は、相手が徹底的に守りを固める難試合ばかり。アホなマスコミが期待する大量得点での爽快な勝利など望み薄であり、泥臭くも激しい地味な試合ばかりが予測されます。

まともに戦えば勝てる相手でも、ゴール前に11人を揃えられたら勝つのは難しいのがこれまでの経験から予測されます。トルコ戦では事実上2軍といってよい若手主体でしたのですが、それなりに戦えたので三次予選は、この若手とJリーグ国内組で戦い経験値を上げて欲しいと思います。

 

追記 この記事も本来は明日投稿する予定でした。でも明日も一日中多忙なので今日のうちに投稿した次第です。

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Can’t Fear Your Own World 成田良悟

2023-09-18 17:33:51 | 

現在、原作の最終章である「千年血戦編」が放送されているのが週刊少年ジャンプで連載されていた「BLEACH」だ。

原作の漫画は既に連載終了しているが、作中で回収されていない伏線がかなりあった。原作者の久保先生によると、「BLEACH」は主人公の成長の物語であるため、本編で全ての伏線を回収することは当初から意図していなかったとのこと。

だから小説版「BLEACH」が何冊も発刊されたのだと納得した。そうなると小説も全て読まずにはいられないのがファンの性である。なかでも表題の作品は全三巻の大作であり、作中に本編では回収されなかった伏線の結末がいくつも載っている。これは買わずにはいられまいと思ったが、ちょっと遅かったので書店で新刊を入手することが出来なかった。

そうなると大好きな古本屋巡りである。近年は仕事が忙しく、古本屋巡りを避けていたのだが、明確な理由があれば別だ。そんな訳でこの半年ほどわずかな合間に古本屋巡りを再開していた。そしてようやく全三巻を入手した訳で、余は満足である。特に平子真司の卍解(ばんかい)が最高。性格悪すぎでしょう、この技は。

いや、まだ満足するには早過ぎる。まずは読んでみて、原作の漫画と照らし合わせて楽しむ。これが正しいBLEACHファンである。実はすべて納得している訳ではないが、無視できる程度の矛盾なので流している部分もある。

しかし、原作の漫画は久保帯人であり、小説版は成田良悟である。異なる人間が同じテーマで作っている作品なので、久保先生の監修はもちろん仲介する編集者にも相当な技量が求められると思う。現時点では、さほどの論理の破綻もなく、私はそれなりに納得できている。

作者がしっかりと監修しているからこその成果だと思うが、二次創作的な作品でこれほど満足できたのは初めてかも。それと伏線の回収が上手い成田良悟の筆の冴えもあると思う。いずれにせよ、まぁ「BLEACH」ファン以外には読むのは不要だと思いますけど、私は満足でしたよ。

追記 本当は明日19日にアップする予定の記事ですが、19日は税務調査の立ち合いで丸一日外出しているので今日投稿しました。

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MEGザ・モンスター

2023-09-15 09:12:37 | 映画

無機質な目、これが怖い。

なにが怖いってサメである。海で出くわしたくない魚の不動のチャンピオンである。ちなみに海の最強チャンピオンはサメではなくシャチである。シャチにかかれば、サメなんて玩具同然に弄ばれて殺されてしまう。

体のサイズにもよるがイルカもサメを恐れない。特にバンドウイルカの成獣ともなると、サメは子イルカの敵とみなしてあっという間に突き倒してしまう。映像でみたが、高速で突っ込んで、サメのどてっぱらを突いて、逃げ惑うサメを徹底的に痛めつけて追い払う。哀れサメはふらふらになって海底に沈んでいく。

しかし、古代において最強の怪物として君臨していた巨大サメ、いや巨大怪獣メガロドンとなると話が違う。とにかくデカい。現在、地球最大の哺乳類であるシロナガスクジラをもはるかに上回る巨体で海を跋扈していた。

私も博物館でメガロドンの口の骨(レプリカ)をみたことがあるが、デカい、とにかくデカい。私が立って歩いて口の中に入れるほどにデカい。こんな怪獣が太古の海を泳いでいたのだから恐ろしい。そしてこのメガロドンを映画のネタにしたのが表題の作品。

まだコロナ騒動が起こる前、映画館のポスターで見て是非とも観たいものだと思っていたが、果たせなかった映画である。映画館のデカいスクリーンでこそ楽しみたいモンスターパニック映画であるからして、論理的矛盾だとか細かい点を突っ込んではいけない。

ただ、ただメガロドンの暴れっぷりを楽しめば良い。はい、私この手のおバカ映画が大好きです。DVDでの鑑賞であったのが唯一の悔いですが、まぁ楽しかったから良しとしましょう。でも、2作目はどうしようかな?無理に観る必要はないことは分かるのですがね。

コメント (2)
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