数年前から始めている日本史の学び直しだが、相変わらず遅々として進まない。
その最大の原因は資料が少なすぎることだ。もっといえば偏った、あるいは意図的に操作された歴史書が大半であり、歴史の実相が見えずらい。そこで見方を変えて、古代の地図や気候などとも合わせて多方面から探ろうと考えている。
その一つの方法が、古代における海洋交流だ。大和朝廷以前から、日本の九州、西日本と朝鮮半島南部、そして大陸の山東半島との間で交流があったと思しきことが、神社の狛犬や建築様式などから推測できる。ただ文献がないので、未だ歴史学からすると不確定なものである。
ただ日本や朝鮮半島南部の水稲が、シナの深南部からやってきたことは既に遺伝子解析で分かっている。その水稲を持ってきた人間はもちろん、文化、食生活なども同時に移ってきた可能性は非常に高い。ただし、朝鮮半島に関しては、大陸系の新羅、高句麗などが南下して支配を確立したこともあり、交流は途絶えてしまった。
しかし神社という日本最古の宗教に関わる建築物が、山東半島や朝鮮半島にも見かけることが出来る以上、交流があったことは確定的だと考えている。多方面から古代日本史を照らしてみようと考えているなかで不思議に思うことが出てきた。
なんで朝鮮半島には、大規模な土木工事や建造物の史跡がないのだ?
元々東アジアにおいては、シナの中華帝国こそがお手本であり、シナは東アジア屈指の土木事業大国である。もともと大河の氾濫をどう制御するかが国家の主目的であったシナであるからして、有史以前から河川の土木事業は盛んであった。これが黄河文明の原点であり、殷も周も治水事業に多大な投資をしている。
シナには劣るが、日本もまた土木事業の盛んな国であった。これは日本列島の大半が急峻な山地であり、世界屈指の降雨量が流れの速い川を多数作り出すが故に、河川の氾濫は珍しくなく、川と山に分断されがちな国土であるため、沿岸航路の発達が古代から著しかった。故に港(津)や灯台替わりの神社などが数多く建設された。同時に河川の改修工事も盛んであり、古代と現代では地形がまるで違っていることが珍しくない。
ところがシナの文明の優秀な模倣者であるコリアの民が支配する朝鮮半島では、古代から近世に至るまで大規模な土木工事はもちろん、古い文明につきものの巨大な遺跡さえない。それどころか、農業でさえさして発達せず、秀吉の朝鮮半島侵略時と明治時代の清による朝鮮半島譲渡時で農業生産力がほとんど変わっていない有様である。
それだけではない。半島にある国家ならば沿岸航海が発達し、物流の中心を担うのが通例だ。イベリア半島でもイタリア半島でもスカンジナビア半島でも沿岸航路の発達が商業の発展に大きく貢献している。もちろんシナの山東半島も同様であり、南部では台湾や東南アジアとの交流史が確認できる。
鉄道や自動車以前、世界では物流を担うのは陸路では馬車が中心だが、如何せんあまり効率が良くない。やはり舟による物流が量的にも時間的にも最も効率が良かった。シナでも日本でも物流は、大河であり、運河であり、沿岸航路が普通であった。
しかし朝鮮半島では不可解なほどに沿岸航路が未発達であった。いや正確には、沿岸を荒らす海賊(倭寇)とそれを取り締まる海上警察ならばあった。だが商業航路はなかった。これは半島内における商業活動そのものが発達しなかったことが原因だと思われる。19世紀になっても半島内では陸路は未整備で、移動には苦労したことが欧米人の旅行記に記載されている。
ユーラシア大陸屈指の文明国家シナの隣国であり、最も中華文明の優秀な承継者であるはずの朝鮮半島がかくも未発達な文明であることは、ある意味驚きである。奇妙に思いあれこれ調べてみたのだが、どうも意図的に文明後進国であらんとしていたらしい。
朝鮮半島に何時頃儒教が入ったのか不明だが、この孔子が提唱した儒教という宗教を徹頭徹尾形から信仰していたのがコリアの民であったようだ。儒教は古代の周の時代を模範とし、その時代の行動規範を守ることに徹することこそが平和な社会を実現する唯一の方法だとしている。
そのことを字面通りに信じ切ったのが、半島の支配者(両班と呼ばれた貴族層)であり、彼らは現状を変化させることを厭い、新しい技術の発展すら拒否することが良いことだと信じ切っていたらしい。儒教の特徴である商業活動を軽視し、工業さえも蔑視する極端な士農工商による社会統治を守り続けてきた。
それゆえに土地の開墾による農地拡大を拒否し、運送業を軽視したため道路の整備を拒否し、船による物流さえも積極的になれず、港の整備もろくにしなかった。文明の進歩、技術の向上を拒否し、現状を固持することこそ正しい在り方だと信じていたようなのだ。
古代の三国時代に日本へ渡来した百済の人たちには技術者集団がいたようなので、その頃までは水運も灌漑もしていたと思われる。おそらくはその後半島を統一した新羅以降ではないだろうか、技術的な停滞期は。
結果的に朝鮮半島において近代的な国土開発は、日本帝国のもとで行われており、そのせいか半島独自の土木建築技術はまだまだ未熟な状態なのだろう。近年、南コリアで頻発する建築物の崩壊などは、鉄骨を入れずに建てたり、地盤改良工事をせずに大型の建築物を作り崩壊を招くといった結果を招いているようだ。
ただ半島の人々には、自分たちが土木建築技術が低劣であるといった自覚には乏しく、根拠もなしに製造業大国を名乗っている有様。いや、根拠なんざ必要ないのでしょうね、中華思想に囚われた人たちにはね。