そろそろ本音で語りたい。
日本の敗戦後、急激な経済成長はアメリカによる指導が大きい。特に品質管理技術の向上と大量生産システムの導入におけるアメリカの功績は素晴らしかった。実際、アメリカにおける製造業の発展は19世紀末から20世紀前半までが黄金期だ。
この時期のアメリカにおける製造現場の技術革新は凄まじい。驚くべきは大企業による革新よりも、個人の研究と努力により新しい技術が毎日のように工場の現場で推し進められた。私がこのことを知ったのは、BBCで作成された番組を見たからだ。
その映像で映し出されるのは、町工場とも言いたくなる程度の規模の生産設備の改良に挑む若きアメリカの経営者たちであった。機械油で汚れ、旋盤の削りカスにまみれた彼ら白人技術者たちの姿は、私の目には懐かしくさえ感じた。
何故ならその姿は、戦後の高度成長期を支えた下町の町工場でよく見かけた日本人技術者たちの姿にそっくりだったからだ。懐かしさと同時に寂しさを感じたのは、もはやその光景は過去のものだと知っているからだ。
アメリカにおいて製造業が衰退したのは、おそらくはヴェトナム戦争以降、特に西ドイツや日本からの自動車、家電などの工業品の大量輸入によりアメリカ国内の製造業者が苦境に陥った時だとされる。
しかし、私はそう考えてはいない。一つの大きな原因は科学技術がある程度限界を迎えたことだ。コンベアを活用した大量生産システム、それを可能にする様々な生産機械により産み出されたアメリカ発の工業製品は数多ある。現在、自動車に当たり前のように装備されるエアコン、パワーステアリング、電動シート、電動ウィンドウは全てアメリカの発明だ。
また天然ゴムを使わない石油化学製品はアメリカにおいて急速に発展した。なにより電気を活用した生活を便利にする家具、調理機の大半がアメリカだ。そのアメリカが戦争で負かしたドイツと日本の復興に伴いアメリカの技術が独自の進化を遂げた。そしてあろうことかアメリカの製造する製品を上回る性能を備えて輸入されるようになった。ここにアメリカの製造業の失墜は始まる。これは事実だ。
しかし、アメリカは資本家が経済を動かす国だ。ドイツや日本に圧倒される分野にわざわざ投資などしない。投資なくして製造業の改善はあり得ない。それどころかアメリカの製造業の弱点である人件費の高さを嫌って海外に生産拠点を移した。これでアメリカの政治の中心的立場にあった中産階級が没落した。
皮肉なことに冷戦に勝ったことにより、この中産階級の切り捨ては更に加速し製造業は黄昏を迎えた。だが製薬、コンピューター、軍需産業はしぶとく生き残った。同時にソフト産業に投資が積極的になされて映画、音楽、コンピューターソフト、金融サービスそして何よりも弁護士業界に金が集まった。
気が付くと、世界中に輸出していたアメリカの製造業は大きく衰退し、代わってソフト産業が躍進した。見方を変えると、生産工場を海外に移して安い人件費で浮いたお金を投資家が独り占めした。汗と埃にまみれる仕事から、快適なオフィスでルールを有利に設定して大金を稼ぐ仕事が蔓延った。
もはや軍需産業でさえ、外国の工場からの部品輸入なくして成立しない。アメリカは覇権国でありながら、世界中に生産工場を分散させてしまい、国内だけで全ての製品を賄うことが出来なくなった。その代わりにアメリカ式の貿易ルールを強要し、アメリカの独占資本家が更に富を蓄積できるように自由経済を再構築しようとした。
これがWTO/GATTの変貌の根底にあり、TPPやグローバリゼーションの名のもとにアメリカの投資家が自由に稼げる世界を広げようと目論んだ。しかし、これは上手くいっていない。いや、ある程度上手くいったのは確かだと思うが、肝心のアメリカ本国での抵抗が起きてしまった。
アメリカは最早白人主導の国とは言いかねる。かつてアメリカの中核を担った中産階級が没落し、ラテン系の移民、中華系の移民などが経済の分野で大きな存在となった。製造業からソフト産業へ上手く転職できた白人はそう多くなく、切り捨てられたかつての中産階級が反発するだけでなく、夢を実現できる国アメリカという看板もくすんでしまった。その結果がアメリカ社会の分断である。
ところで日本であるが、戦後の高度成長はアメリカを手本とし、更に改良を加えて推し進められた。いつだってアメリカは日本の一歩も二歩も先を行くお手本であった。だが日本の投資家は当初は未熟であった。手慣れた土地と株式にしか投資できなかった。それがバブル経済を生み出し、その眩しさを恐れた大蔵省によりバブルは急激に崩壊した。
失策を恥じたのか名称を変えた財務省は「貯蓄から投資へ」を掲げたが、高齢化が進む日本の消費者はなかなかそれに応じようとしなかった。するといつの時代も必ず湧き出る「お代官様にすり寄る商人」が登場した。
健康保険会計の赤字に悩む厚生労働省に付け込み、高度ガン治療を保険診療から外し、「ガン保険」を持ち込んだオリックスの宮内などがその代表だ。税金で構築された電信電話網を利用して事業を展開した携帯電話会社が後に続き、現在はデジタル政府推進を看板に税金で稼ぐ電通・パソナを導く竹中などが即座に名を挙げられる。
だが、いずれも欧米の後追い程度のもので、到底世界水準の投資活動とは言いかねる。敗戦後の三流エリートが主導した日本復興期を別にすれば、霞が関のエリート官僚主導の経済成長は概ねずっこけたのが実情だろう。
貿易黒字の主役である自動車会社を減らそうとした通産省、製薬企業をガラパゴス化させた厚生省、メガバンクを作らせたものの世界には全く通用しなかった結果を無視する財務省と失敗例ばかりである。
一方、霞が関の官僚から無視されていた漫画、アニメ、ゲーム業界は、世界中に広まり一大コンテンツと化している。ちなみに便乗しようとしたクールジャパン戦略は予想にたがわず失敗である。
いったいいつまで政府主導の経済戦略の是非を論じることが出来るのだろうか。日経新聞やNHKは報道の自由を謳うが、霞が関のエリート官僚たちが作成し実行した政策の失敗を堂々と論じたことはない。官僚たちが予算さえ実行されれば、あとは野となれ山となれと放置している惨状を、いつまで見過ごすのか。
近年になってようやく反日自虐を繰り返す輩を報じることは出来るようになったらしいが、霞が関の失策を報じる勇気はないのが日本のマスコミ様である。幸いネット上にはけっこう情報が出回るが、その信憑性は低い。故にある程度年数が経たないと判断が難しい。
日本は高齢化社会となり、漸次人口が減少していく事は確定している。高齢化した政府は思考が硬直化するのが普通だ。私は日本政府主導の経済政策は、ほとんど希望が持てないと案じている。だがその一方で地味ながらも、若い世代、エリートではない人材が活躍する時代を夢見ている。
はっきり言えば、学校からの落ちこぼれ、外国人とのハーフといった政府の公的な仕組みから外れて生きている人たちだ。概ね、ヤンキー化したり不良化、あるいは裏社会の構成員となり勝ちではあるが、一部の若者たちは逞しく真っ当に生きている。
必ずしも肌の合う人たちではないが、彼らが今後の日本に大きな影響を与えるようになると思います。まぁ甘い見通しであるとも自覚しているのですがね。